発信塔:並里 まさ子 [おうえんポリクリニック便り -6- ]

2010年12月13日

 皆様お元気ですか?所沢のおうえんポリクリニックから、久しぶりにお便りいたします。

 今年の11月10日、私たちはちょっと珍しいパーティーを企画することができました。退所者の皆様とその支援者の方々が先頭に立って運営して下さり、有意義なひと時だったと思います。特に「あおばの会(東日本退所者の会)」、「ハート相談センター」、「IDEAジャパン」の方々に大奮闘していただきました。なおこれについては、IDEAジャパンのニュースレター第9号(12月10日発行)で、トピックスとして報告していただいていますので、ご存知の方もおられると思います。

 そもそもの発端は、今年の春ごろ「ハンセン病研究センター」の松岡氏と甲斐氏のお二人が、当院を訪ねてこられたことに始まります。いえいえ実際には、もっと以前から薬剤耐性の検査ではしばしばお世話になっていて、この時もその結果をこのお二人が持ってきて下さった時に出たお話です。私の長い療養所勤務時代から今日まで、ハンセン病の治療で常に妨げになるのはらい菌の薬剤耐性でした。

 薬剤耐性についての補足:らい菌は、今も人工培地で培養することができないので、薬剤の効果を判定するには、今もマウスのフットパッドに菌を植え付けるのが唯一の方法ですが、これは高額な費用と長時間を要する検査です。近年分子生物学的方法で、らい菌の薬剤耐性に関する遺伝子変異の有無を見ることにより、極めて短時間で薬剤耐性の可能性について判定することができるようになっています。これについては、日本の研究者の活躍が目覚ましく、世界に誇れる成果を上げています。私は、療養所時代からこの検査に関わる方々に大変お世話になっており、私の治療した患者さんのほとんどは、この研究の恩恵を受けています。

 目下の世界のハンセン病対策は、1981年WHOによる多剤併用治療の推進に始まり、統計上の患者数は激減しました。しかし実際には、様々な問題が残されていることは皆様もご存じのとおりです。新患者数の減少は一向に見られず(実際には新患者数は不明と言わざるを得ないのが実情だと思います)、後遺症による障害の悪化防止などはほとんど手つかずの状態です。ところがハンセン病に対する国際社会の活動は、そのほとんどが鳴りを潜めてしまい、WHOの支援する活動としてわずかに残されているのが、薬剤耐性に関する動きです。

 2008年WHOの呼びかけで、世界の国々から研究者や政府関係者が集まり、ハンセン病の薬剤耐性に関するワークショップ「Workshop on Sentinel Surveillance for Drug Resistance in Leprosy:ハンセン病の薬剤耐性に関するワークショップ」を開催することになりました。これは世界に数箇所の定点を置き、薬剤耐性の出現頻度などの観測を続け、今後のハンセン病対策に役立てようというものです。2008年に第1回の会議がベトナムのハノイで開かれ、2009年の第2回はパリで、そして第3回の今年は東京で、11月9、10日にこの会議が開催されることになりました。上記のお二人たちは大変苦労して半年以上前から会議の準備を進めてきましたが、突如来客の接待費については、厚労省も日本財団からも、費用は出せないということになったそうです。これでは世界各国から来られるお客様達に対して申し訳なく、主催国としてはとても恥ずかしいことなので、何とかならないものかとの相談になりました。

 私たちはこれまで大変お世話になったのでこれはご恩返しの良い機会だと思い、「おうえんポリクリニック」と「NPOおうえん」として、来日される皆様の接待役をさせていただくことになりました。まず「あおばの会」の方々に声をかけると、次々に支援の輪が広がりました。IDEAジャパンとハート相談センターの皆様、早稲田の学生さんたちが、工夫を凝らして接待の準備を整えてくださいました。国内の方々には会費を払っていただき、学生さんたちには皆さんがカンパして下さったようで、さらに何人かの方からは、会費以外のご支援までいただきました。

 当日パーティーの会場正面に掲げられた横断幕を見上げてびっくり! ウェルカムで始まる英文が、見事な墨筆で書き上げられていました。言わずとも知れる、酒井様の筆跡です。ありがとうございました!

 11月10日の夕刻、会議に参加した人々が次々に会場(新宿ワシントンホテルの宴会場)に集まって来られました。アフリカ、アジア、南米、北米、イギリス、フランスから約40名が参加されました。中にはどこかの学会で見かけた人、その研究論文で名前を知っている人、ミヤンマーのフィールドワークで一緒に働いた人々もいて、久しぶりの出会いに療養所時代が懐かしく、感無量の一時でした。

 早くから来て準備していただいた日本側の参加者も約同数、会場はほぼ満員となりました。江田五月氏(前参議院議長)と管 伸子首相夫人も駆けつけて下さったのは、森元さんのお力添えのおかげでしょう。お二人からも、心のこもったスピーチをいただきました。皆さんが準備した手作りのマスコットや、きれいな折鶴のセットが全員に配られ、NPOおうえんからは、小さな真珠をみなさんにお渡ししました。お料理を食べながら、あちこちで賑やかな会話が弾み、ジャズバンドの演奏が始まりました。あおばの会、ハートセンター、IDEAジャパンの方々がそれぞれ壇上に上ってお話をされましたが、中でもある退所者の方が飛び入りで壇上に上がり、これまで歩んできた道のりの一端と、努力の上に築かれた今の生活について話されると、一人の外国の女性がとても感動しておられました。後日この方からは励ましのメールが届き、ここでも新たな繋がりが生まれました。

 薬剤耐性の研究については、忘れられない思い出があります。療養所勤務中には、ハンセン病に関する様々な国の委託研究に関わりましたが、退職の前年、「流行地における薬剤耐性の調査、環境内らい菌の調査(これは感染源・感染経路の探求に繋がる可能性を秘める)、発症予防を目指す予防投薬法の探索など」を目標に掲げて、今回の研究者の方々とともに政府の委託研究に応募しました。しかしちょうど全生園医療過誤裁判の真っ最中でのこと、満々の自信を持っていた我々の応募は落選し、全生園側(国側)に立った医師を含むグループがこれらとは全く異なる目標を掲げて採択されました。この無念さは、国の機関を辞めて開業の決意を固めるには十分でした。

 慌しい日常生活が続く中、数年前のことを思い出しています。上記の国の委託研究に関わることはできませんでしたが、小さな一開業医として、しかし大勢の方々と一緒に、ハンセン病対策の極々一端でお手伝いすることができて、今年は良い一年でした。

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並里 まさ子 [おうえんポリクリニック便り]
掲載日 タイトル
2010.12.13 【6】
2008.4.8 【5】
6/1 【4】
12/1 【3】
11/25 【2】
8/23 【1】