教育部会
学習交流会
3日目 12月27日(火)
意見交流 : 「 ハンセン病市民学会・教育部会の今後の活動について 」 など
2006年度教育部会活動方針 ( 教育部会設立の趣旨 ) 案 などについて、意見交換をしました。詳しくは、「 これまでの活動と報告 ・ 1 ( 設立準備委員会の内容 −概略− )」 をご覧ください。韓国ソロクト・台湾楽生院訴訟問題の学習
市民学会運営委員 金 泰九 (キム テグ) さんのお話 −この訴訟までの経緯、そして判決−
1998年7月31日「らい予防法違憲國賠請求訴訟」が熊本地裁に提訴され、提訴後3年足らずの2001年5月11日、原告完全勝訴の画期的判決が下されました。この判決をうけて同年6月22日議員立法による「ハンセン病補償法」が成立しました。補償法の根幹は国籍、療養所を問わず「らい予防法」により被害をうけた総ての入所者を対象に補償を行うというものでした。その翌年、私は韓国の韓星協同会の招きで韓国に講演に行った折、「日本の療養所に、例え1日でも入所した経験のある方は補償金支給を申請して下さい」と呼びかけました。
しばらくして、定着村である忠光農場におられる金 新芽 (キム シナ) さんという方から「あなたの講演を聞いたが、本当に補償金はもらえるのか」という問い合わせがきました。その後、金 新芽さんが窓口になり、かつて日本の療養所に在籍した方の名前が私に送られてきました。私は在籍確認を各園にFAXなどでしたのですが、なかなかうまくいきませんでした。何十年も昔のことですので、自分がいた療養所名も忘れていたり、生年月日、はては通名すら薄ら覚えの方もおりました。状況判断では90パーセント間違いないとしても、残る10パーセントが合わないと申請してもダメなんです。在園調べをしますと、実に不親切な園職員もいましたが、大方は親切でした。でも、補償金をもらえた方はたった15、6名ほどです。
その後ソロクト(小鹿島)を訪れましたが、元気な人は定着村で生活しているため、ソロクトに残っている人は不自由な人ばかりでした。日帝時代から入所している人は、強制労働のために手はすりこぎになっていたり、足は義足だったりしていました。植民地の療養所では暴力支配により療養所は運営されており、なぐり殺された人もいました。強制作業はグループ単位でノルマを課し、達成しなければ夜までもさせていました。強制作業の内容は、レンガ作り、かます(注:わらで作ったむしろ)作り、木炭作り、そして拡張工事でした。ソロクト病院の建物はその殆どがレンガ造りです。拡張工事とは、敷地拡張のための干拓、堤防工事です。小鹿島更生園には一時、入所者が6000名を超える時期もあったからでした。
また、断種は処罰の一種ですので、監禁室を出される時には断種をさせられました。そして現在は、入所者の平均年齢は82歳、4人部屋の雑居部屋で生活しており、韓国政府から月に40000ウォン(注:日本円で約4000円)が支給されています。強制作業はないということでした。また、韓国国内に84ヵ所ある定着村では10000人が生活しているそうです。
2003年12月、日帝時代を生き抜いた入所者117名が、日本の厚生労働省に「ハンセン病補償法」に基づく補償金支給を申請しました。しかし2004年8月、厚労省は不支給の決定を下しました。直ちにソロクト入所者は東京地裁に不支給取り消しを求めて行政訴訟をおこしました。その間、何回かの口頭弁論がありました。そのたびに傍聴席は満杯でした。
遂に判決の日、2005年10月25日、私は傍聴席の前よりに座って判決を待ちました。「請求を棄却する」するという裁判長の声。一瞬、法廷は水を打ったようにシンとなりました。あきれてものも言えない状態だったと思います。実は弁護士の先生方から、この裁判は絶対勝つ、と聞いていましたので原告敗訴が信じられませんでした。
後で知ったことですが、敗訴の主な理由は、「ハンセン病補償法」の審議過程で議員たちがソロクトなど外地療養所入所者について議論されていない、という推論によるものでした。
厚労省は『告示』に捉われることなく、ハンセン病補償法の精神を再認識され、一刻も早い円満解決がなされるよう努力して戴きたいと思います。
ハンセン病国賠訴訟瀬戸内原告団長 宇佐美 治さんのお話
〇 小鹿島更生園
九州の徳田弁護士さんたちとソロクトを訪れました。現在の医療・療養体制が充実しているかどうか気になるところがありました。ボランティアにはかなりの人数の方が来られていました。それだけの人数を受け入れることのできる施設もありました。入所者はオンドル(注:床暖房のこと)の熱さが分からず、よく手先を火傷してしまうために、症状がますます悪くなっていました。
○ 日本、韓国、台湾以外の国にある、日本が作った療養所について
・ ミクロネシア ミクロネシアには、ヤルート、サイパン、パラオ、ヤップ島に日本の作った療養所がありました。ヤルートにある療養所は、1927年にできました。ヤルートの職員だったMさんという人が長島愛生園に来られたことが、芳名録に記載されてあります。
パラオで日系の方が大統領になった時、長島愛生園から「以前パラオに療養所があった時、パラオの皆さんに大変お世話になったので、ささやかながら花火代を送ります」といった内容の祝電と花火代を送りました。その祝電に対して大統領名で来た感謝状が、記念館にあります。
また、南太平洋のナウル島(オーストラリアの統治領)では、日本の兵隊にうつってはいけないからということで、患者を船に乗せて銃撃し、船ごと海に沈めてしまいました。その中の1名だけが島に逃れたため、その事実が判明したのです。
・ 旧 「 満州 」 日本傀儡政権としての旧「満州」の同康院では、1945年のソ連参戦の時、入所していた日本人・朝鮮人・中国人が殺されたと聞いています。特に、日本人は全員殺されたそうです。このことは、元職員のSさんの著書の中で短歌に詠まれています。また、同康院の院長だった難波政士先生は長島愛生園の医局長だったので、何人かの人がそのことを尋ねてみたことがありますが、「言いたくない」と死ぬまで話されませんでした。
・ 中国 中国には200ぐらいのコロニーがあり、薬はダブソンだけ飲ませていたと聞いていますが、現在どのような状態であるか、私は分かりません。
○ ハンセン病問題の現状
「らい予防法」がなくなった時には社会復帰する人は少なかったのですが、国賠訴訟によって支援策が打ち出されたから社会復帰者が多数出ました。その一方で、私は愛知県出身ですが、愛知県ではハンセン病の症状を診てくれる病院がありません。だから地元で社会復帰できないのです。社会復帰するには、診てくれる病院のある東京や関西に行くようになります。○ 長島愛生園に関すること
昭和27年までに退所したいわゆる「未感染児童」(親が病気で、子どもは病気ではないが、いっしょにハンセン病療養所に入所していた子どもたち)の男の子はほとんどが断種させられているらしいという説があり、2名の方が断種させられたことを聞いていますが、他の方は確認できていません。また、入所している妻に面会に来た夫まで断種させられたということもあったようで、少なくとも二人の方がいることを聞いています。 「 まとめ 」 担当 : 岡村 道子