教育部会

これまでの活動 2 ( 設立準備委員会報告の内容 詳細 ) 学習交流会

1日目 12月25日(日) 学習会1 事例(研究・実践)発表

発表者 : 佐久間 建さん 「 多磨全生園に関わる人権学習 」
東京都東村山市立野火止小学校 / 現上越教育大学大学院教科領域教育専攻社会系コース

1.はじめに
 武蔵野の面影の残る東京都東村山市の郊外に、国立ハンセン病療養所多磨全生園がある。東京ドーム8個分とも言われる広大な敷地には、入園者の皆さんが植えた木々や花々があふれ、地域のオアシスとして多くの地域市民に親しまれている。現在、東村山市は文科省の人権教育推進地域に指定されており、すべての小中学校では多磨全生園とハンセン病に関わる人権教育を教育課程の中に位置づけるようになった。国立ハンセン病療養所がある自治体の中でも、特にハンセン病に関する学習や交流が盛んで、啓発にも力を入れている自治体の一つといえるだろう。

 中でも全生園及びハンセン病資料館に最も近い青葉小では、12年前から全生園の学習に取り組むようになり、現在では全学年がさまざまな形で全生園を生かした授業を取り入れている。しかし、それ以前には、子どもたちや教師たちでさえ全生園がどんな施設かほとんど知らなかった。学校の目と鼻の先にある施設であるにもかかわらず、全生園に関する学習も入所者の方々との交流も全くなかった。地域には、「全生園は怖い」という偏見がまだ色濃く残っていた。少数だが、家の人から「全生園では遊ばないように」と言われていた子もいた。

 私が全生園のすぐ近くにある青葉小学校に転任してきたのは1993年だった。私はハンセン病は差別に苦しめられた病気であると知っていた程度で、具体的な歴史認識や病気についての正しい知識ももちあわせていなかった。そこで、その年に完成したばかりのハンセン病資料館を見学することから最初の一歩を踏み出した。私は全生園やハンセン病の歴史を知って衝撃を受け、このことをなんとか学校の授業で取り上げなければいけないと決意したが、この問題をどう子どもたちに教えるべきか、どうすれば正しく偏見のない理解が徹底できるのだろうかと大いに悩んだ。ハンセン病の歴史一般を皮相的に教えただけでは、「かわいそう」などという差別意識を伴った同情で終わってしまうのではないだろうかと危惧したからである。

 そこで、現在に至るまで特にいくつかの点に留意して実践を進めてきた。

2.ハンセン病に関わる人権学習の進め方と留意点
  6年社会科での導入では、差別の実際を提示し、児童に強い動機付け(衝撃・感傷)を与え、興味関心をもたせたいと考えた。同時に、「なぜだろう」「○○について調べてみたい」という学習問題をつかませなければならない。そこで、2つの矛盾する内容の資料を提示した。
ア.文章資料「全生園に入園した日」(強い衝撃・感傷を与える資料) 
イ.ハンセン病についての知識の一部(正しい「認識」のための資料)
 ア・イの2つの矛盾する資料から、児童はさまざまな疑問や調べてみたいことをもつことができた。
児童の「調べてみたいこと」は大きく分けると【病気について】【差別の歴史について】【現在の全生園や全生園の人々について】の3つになった。この3つの柱をもとに学習を進めている。

( 2 ) 病気について正しい知識を得させる
 一般に、近代日本におけるハンセン病者への差別の要因は次の3点を挙げられる。
@病気による外見上の変形 A遺伝病との誤解  Bらい予防法→伝染性の誤解
 差別が生まれた最大の原因はこの病気について正確に「知らない」ということにあった。特に@〜Bについては、「知らない」だけではなく、明らかに誤った知識や不合理な迷信から生じた誤解が一般に広まっていた。これによってハンセン病は常に強烈な感情を伴って世間に理解されていた。

 従ってハンセン病に関する学習をする際には、病気について基本的な事実認識を得させることが大切である。できれば療養所の医師、看護士から説明が聞ければ最もよいが、決して専門的知識が必要なわけでない。

( 3 ) できるだけ問題解決的な学習過程とする
 ハンセン病についての学習では全員が正しい認識を得ることが大切であるので一斉指導を重視した。しかし、できるだけ児童自身に学習したい問題をつかませ、追及していく問題解決的な学習過程となるよう心がけた。

・< 追究活動1 > では、児童個々や全体で追及する問題を明確にした上で教師の提示する資料(文章資料、視聴覚資料等)を中心に、問題を解決していった。追究の過程では、児童個々の見方・考え方を発表し合い、互いに高め合わせた。そして、調べていくにつれて、児童一人一人に新たな疑問や問題意識が生じていった。
・< 追究活動2 > は、自治会長の平沢さんから話を聞き、資料館を見学して調べる活動である。直接話を聞いたり実物の資料を見たりする体験活動により、感動を伴って理解でき、さらに一人一人の見方・考え方が深まると考える。 
・< 追究活動3 > 典型教材から個別の学習材へ
 全生園を単元の中心となる典型教材と位置付け、典型教材での学習経験を生かし、基本的人権の尊重について個別(グループ別)に幅広い事例を通してより深く学ばせた。

( 4 ) 人物の心情や生き方から学ぶ
 児童生徒がハンセン病一般を傍観者的に学ぶだけでは、「かわいそう」などという皮相的な理解に終わってしまう。できれば、元患者の方々との出会いを大切にし、身近な人物が生きた歴史や現在から未来に向って力強く生きる姿を捉えさせたい。そして、人物の心情や生きる姿に共感させながら、学習を深めていきたい。
●平沢保治氏       
全生園自治会長、資料館運営委員 児童用資料は平沢氏の経験をもとに作成した。
●天野秋一氏        
元自治会緑化委員というお立場から、5年生に向けて「緑への思い」を語って頂いた。元全生分教室補助教諭というお立場から、6年生に向けて分教室の子どもたちの学校生活や気持ちなどについて語って頂いた。
●故山下十郎氏、所義治氏   
お二人とも緑化委員として長年に渡って尽力され、全生園の森を育てて下さった。植樹会では子どもたちとともに木を植え、感動的なお話を聞かせて下さった。
●森元美代治氏  
前全生園自治会会長、今年社会復帰をされ清瀬市に在住 1学期は生い立ちから現在までを語って頂き、差別のおそろしさ、人権の尊さを教えて下さった。2学期はらい予防法と裁判について語って頂いた。
●佐川修氏     
ハンセン病資料館運営委員。資料館見学の際、毎年お世話になっている。 学習発表会に向けて自分のテーマについての疑問を質問し、お答えして頂いた。
●成田稔氏
全生園元園長、全生園名誉園長、ハンセン病資料館運営委員長
専門のお医者様の立場から、6年生と父母に向けて、ハンセン病について正しい知識を教えて頂いた。

( 5 ) 児童生徒の発達段階を考慮して教材をつくる
 小学生用の学習資料は、文章が平易であることは当然であるが、人物の心情や生きる姿を共感的に理解できる内容が望ましい。児童に提示する主な文章資料も、全生園の方から教師が取材したことをもとに作成している。また、ビデオなどの視聴覚資料と文章資料を合わせて活用することにより、小学生でも問題の本質を把握することができる。 

( 6 ) ハンセン病以外の人権課題に発展させる指導計画
 2000年6年生では、下のような計画と時数配分で学習を進めた。このうち、三次の学習はハンセン病以外の人権課題について発展する学習内容である。
一次 「自分たちと憲法とのつながり」2時間(社会科)            
二次 「全生園の人々の歴史と現在」14時間(社会科7、総合的な学習の時間7) 
三次 テーマ別の問題解決学習10時間(総合的な学習の時間) ※総予定時数 26時間
 ハンセン病の学習を単なる過去の反省や批判に終わらせず、人権尊重の実践的態度を育てるという単元の最大の目標に近づけるために、三次の活動はきわめて有効であった。三次の活動を抜きにしては、「共に生きる」という人権感覚は十分に育たないと考える。

( 7 ) マイナスのイメージで新たな偏見を生まないように配慮する                     
 過去の悲惨な面だけではなく、全生園の方々が現在から未来に向って力強く生きる姿を捉えさせたい。
 隔離の時代にも、療養所において人間の尊厳を保ち、未来に向かって力強く生きた人々が大勢いた。
 具体的には、全生園自治や、入所者の皆さんが取り組んできた以下のような活動に着目させた。
●全生園を地域のみどりの財産に!     
●地域の人にも開かれた全生園に!
●東村山をバリアフリーの街に!(地域の障害者運動)
●エイズ(HIV)を第2のハンセン病にするな!  
●長い間の運動でらい予防法を廃止に!
●ハンセン病資料館で語る!        
●世界のハンセン病の人々と手をつなごう!
●「人権の森」運動が始まる! 
●ハンセン病裁判に勝利!

( 8 ) 学んだことを伝える学習発表会
 ハンセン病の学習、特に差別に関する学習は子どもたちに衝撃を与える。そして、偏見や差別がまだ自分達の地域に残っていることに心を痛め、自分達が学んだことを下級生や保護者、地域の人々に伝えたいと願うようになる。総合的な学習の時間などで、しばしば「学習発表会」を開くことがあろうが、ここでの「学習発表会」は地域から差別をなくすという明確な目的をもって取り組むことができる。

( 9 ) 感傷的理解(同情・憐れみ・救済)に終わらせない
 ハンセン病への差別を中途半端に紹介しただけでは、「このような病気になった人は、『かわいそう』であり、『悲惨な人生』を送る『暗い人』だろう」等という誤った認識に陥る可能性が強い。語り部のお話を聞くというだけで、事前事後の学習が十分になされていない学校の場合も、児童生徒の感想に「かわいそう」という表現が多く見られる。

 このようなハンセン病への感傷的理解は、隔離の時代にもあったが、差別の構造は変革されずにむしろ固定化した。戦前に長島愛園の女医・小川正子の「小島の春」がベストセラーになったり、修身の教科書に光明皇后の救癩伝説が掲載されていたことも、その一つである。


3.現在の青葉小学校での取り組み
 どの学年でも「ハンセン病」「差別」を正面から扱うわけではなく、6年間を通してさまざまな形で全生園の人々や自然とふれ合い、最終的には命と人権の尊さを学ぶことをねらいとしている。学年の発達段階や系統性を考慮して、低中高学年ごとに以下のような取り組みが中心となっている。

○ 低学年では「親しむ・遊ぶ・みつける」などの体験活動が中心。主な学習対象は、草花・木・昆虫・季節など
 草花遊び、昆虫採集、よもぎだんごづくりなど、生活科での体験学習によって、子どもたちは全生園が大好きになっていく。入所者の皆さんもやさしく子どもたちを見守り、植物について教えて下さったり、カブトムシの幼虫をくださったりする方もいる。手足に後遺症や障害をもつ方も多いが、子どもたちは何の違和感もなく自然に接します。そして、全生園の方々の温かい人間性に触れ、全生園がますます大好きになっていく。

○ 中学年では全生園にある具体物を調査・観察する活動が中心。主な学習対象は、地図・施設・史跡・自然など
 3年生では全生園の「ハテナ調べ」に時間をかけている。全生園にはお店や郵便局のなどの生活関連施設も完備され、神社や教会、歴史を偲ぶ史跡など調べる対象が数多くある。子どもたちは地図を片手に歩き、園内でさまざまな疑問(ハテナ)をみつけます。それを直接何度も出かけて取材・調査したり、自治会や資料館の方々に質問をしたりし、子どもなりに解決していく。

 4年生では、3年の学習を発展させ、全生園の自然や施設で自分にとって宝だと思う場所を保護者や地域の人々に案内している。子どもたちは自分たちが大好きな全生園をたくさんの知ってほしいと真剣に詳しく調べ、わかりやすく正確に伝えようと発表に工夫をこらして精一杯がんばってる。

○ 高学年では全生園の方との交流を大切にして人間の生き方を学ぶ。
  緑化・環境や人権・命の尊さなどの価値を学ぶことが中心 
 5年生では「みどりの宝・全生園」という総合学習を実施している。全生園では戦時中の物不足や防空壕の材料に園内の木々が伐採されてしまった。しかし、差別が地域に根強く残っていた30年以上も前から、全生園の方々は、木を植え育て、全生園を地域のオアシスとして市民に引き継ごうとしてきた。子どもたちは緑化委員の方のお話などから、不自由な体でも緑化活動に励んでこられたご苦労を知り、その背景には地域から拒否され孤立した環境の中で生きてきた人々の共生への願いがあったことを感じ取った。そして、全生園の森の空気や騒音を測定したり、野鳥の棲息を観察したりすることによって、全生園の森の豊かさを体と心で学んでいる。 

 6年では「命と人権の尊さを学ぼう」をめあてに、平沢自治会長さんの生きる姿を描いた文章資料を読むことから始まり、ハンセン病の歴史を学んでいる。また、平沢さん以外にも大勢の方から直接お話を聞かせて頂いている。ハンセン病の差別と闘い、あらゆる人々の人権のために活動を続けてきた方々の人生から、子どもたちは人間にとって最も大切な価値を学んでいる。また、学んだことを多くの人々に伝え、地域から差別を一掃することを願って学習発表会を開いている。卒業式では「6年間で最も心に残ったこと」を述べるが、全生園の学習を挙げる子がとても多い。

発表者 : 土田 一憲さん ( 正則高等学校 )

0.学校紹介
 正則高校は港区東京タワーの下、芝公園を借景に今年創立115周年を迎えた学校です。明治の時代、立身出世主義の変則教育に対峙し、全人教育を謳う「正則」な教育を目指しました。現在も「平和と民主主義」を掲げ、創立の精神は発展的に引き継がれています。学校規模は、1年生8クラス、2年生9クラス、3年生7クラス(各学年1クラス40人ほど)です。3年間クラス固定・担任持ち上がりを原則として、成績によるクラス分けをしないクラス編成となっています。今年度で男女共学6年目。「男女共学元年」の学年が2年の時に、初めてハンセン病療養所を訪れました。
1.「学習旅行」とは
 (1)概略
 毎年3月に、その年度の2年生が参加する3泊4日の行事であり、普通「修学旅行」と呼ばれている行事です。しかし私達は、あえて「学習旅行」と呼んでいます。3年間全体を見据えた時に、そこにクラスづくりや彼らの人格形成の1つの山場がある、重要な行事だと思っているからです。
 学習旅行は今から20年以上前、「平和学習旅行」として始まりました。長崎、あるいは広島を訪ね、更に沖縄を訪ねるというルートをたどり、原爆や地上戦の悲惨さを「見て」「聞いて」「歩いて」追体験をする。そして戦争の実相に触れながら学習を進めてきました。また、その後韓国まで足を伸ばし、独立記念館や西大門刑務所、ナヌムの家などを訪れた年度もありました。
 01年度、様々な事情から見学地の再検討が必要となり、その結果知覧(特攻隊の基地があった所)・熊本(ハンセン病療養所・菊池恵楓園)・長崎を回るコースとなりました。このコースは次年度から水俣・熊本・長崎と変更されました。見学地の変更に伴い、名称も「学習旅行」となりました。従来の目的だった「生き方を学ぶ」ことと合わせ、「学ぶことそのものについて学ぶ」ことも、現在では目的の1つとなっています。こうして発展的に継承され、現在に至っています。

(2)目的
 「学習旅行のしおり」にも載せられた、04年度の学習旅行の目的は以下の通りです。
*           *           *
 1.アジア・太平洋戦争の惨禍や高度経済成長かにおける水俣病の被害、更に日本近代化の中で行われたハンセン病政策の実態に触れ、近代及び現代日本の一断面とその課題について学ぶ。
 2.原爆被害者やハンセン病元患者、水俣病被害者など、こうして出来事の当事者の生の声に触れ、生命の尊厳についての認識を深める。
 3.以上の学習の中で、自身を取り巻く今日の日本や国際社会のあり方・課題に目を向けつつ、現在の自らの生き方・課題を問い、主権者としての今後の生き方を考えていく。
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 これはあくまでも「大目標」です。これに基づいて、私は以下の通りに目的・狙いを考えました。以下は旅行前に書いた担任の狙いです。 *           *           *
・生徒につけさせようと考える力は、やはり以前も言ったように、「主権者としての力」である。その中でもより根本的な、「何かの時には声を上げようと思える」「周りの人が上げた声を受け止めることができる」「人間をそうした存在として思える」…そんなことを理屈よりも経験として実感させたい。そしてもう少し高いレベルで言うなら、「違いを前提として、丁寧に一致点を作り出すことができる」「しかしお互いの意見を大切にするからこそ、お互いぶつかることを恐れない」「そうしたことを通じて、自分達の集団の在り方に絶えず目を配りながら、自分達の環境をよりよいものにつくりかえていく」…ということだろうか。学ぶことの意味も上記の中でとらえ、絶えず迫っていきたい。
・水俣病・ハンセン病・ナガサキを通して分かること、それはこれらの出来事は「差別」から生まれたということ。そして日本の「近代化」はそうした差別、あるいは差別から生みだされた悲劇の上に遂行されたということ。今の日本にいる以上、自分はそうした事実から全くの無関係ではいられないということ。何もしないということは、いわゆる加害者の側に加担してしまっているのではないかということ。知らず知らずのうちに自分がそうしたものの上に立っているように、自分と社会が切っても切り離せないものならば、独りよがりな行動は慎まなければいけないこと。今まで通信では、上記のようなことを考える上で手がかりになるようなことを色々と投げかけてきた。
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(3)恵楓園を訪れた経緯
 01年度の学習旅行の見学地を決める時、私達は当初韓国、その次に沖縄を見学地にと考えていました。その年の7月に行われた高文研の沖縄ツアーに下見の意味で参加したところ、沖縄の療養所・愛楽園を訪れることになりました。そこで元患者の方のお話をお聞きし、衝撃を受けた私は8月の学年教員参加の下見でも訪れ、急遽学習旅行の見学地に愛楽園を加えました。
 しかし、9月に9・11が起きます。沖縄行を断念した私達はそれに代わるものとして九州を訪れることにしました。7・8月にお会いした元患者の方の紹介で恵楓園の方と連絡を取り、12月に恵楓園を訪れました。こうして変更に変更を重ね、01年度の学習旅行先(知覧→熊本→長崎)が決まりました。

(4)04年度実施概要
 こうして始まった「九州学習旅行」ですが、前述の通り、01年度と比べると若干の変更点があります。
<日程> 02年 3月3日〜6日 第1グループ(A・B組)
    3月4日〜7日 第2グループ(C・D組)
   3月5日〜8日 第3グループ(E・F・G組)   の3泊4日
<行程>
1日目
 水俣 「ほっとはうす」の方との交流・水俣病資料館の見学。教頭先生のお話。
2日目
 水俣 水俣病患者の方の講演・クラス別体験学習。
 熊本 富樫先生・村上先生・原田先生のお話。
3日目
 熊本 ハンセン病元患者の方の講演・恵楓園の見学・恵楓園の方々との交流。
 長崎 被爆者の方のお話。
4日目
 長崎 原爆資料館の見学・長崎市内見学。HR。
<3日目の内容>
 午前中にハンセン病元患者の方の講演を聞く。その後、恵楓園に移動。1クラスを半分に分け、それぞれに自治会の方についていただき、お話を聞き、昼食も一緒にとる。昼食後、自治会の方に園内を案内していただく。
2.生徒の変化
 (1)事前学習
 学習旅行の直前となる3学期になると、HR単位で「事前学習」が行われます。学年で決まったビデオを見、感想を書いてそれを交流しあうというものです。そうした中で、学習旅行での問題意識、自分の中の「問い」をつくりあげていきます。
 04年度の事前学習で見たビデオは全部で6本です。そのうちハンセン病に関わるものは「封印された叫び」と「津軽」です。「津軽」は学習旅行の前日登校日の時に見ました。なお事前学習とは別に、共通授業の「日本近現代史」(週3単位)では一定の時間をとって「水俣病」「ハンセン病」「原爆投下」などについて学んでいます。  

(2)事前学習での生徒の感想
 事前学習の後、生徒には作文を書かせ、その作文を学級通信で交流しあいました。「封印された叫び」を見た時には「このビデオで、たくさんのハンセン病の方を見て、私は正直きもちわるいと思ってしまいました」「…だが、これを書いていて、もしハンセン病の患者の入ったお風呂の後に自分が入ることになったら、少しためらいが出てしまうと思いました」といった感想が少なくない生徒から出ました。VTRを見た時に「そうした政策をとった政府はいけない」という感想が出て来やすいのですが、どこか評論家的になってしまいます。まずは自分のこととして受け止め自分を見つめなおすことが大切だと考え、上記のような感想をあえて紹介しました。

(3)現地での生徒の反応
 3日目の夜に学級委員から、4日目の昼に全員から感想を聞く場面がありました。4日目のHRでは「時間がないから1人1分」と限定しても若干時間がオーバーするくらい、生徒は語るものをもっていました。
 「心打たれたものもあった」「自分が知らないうちに差別をしていたかもしれない」「自分の中にある偏見、意識の低さに気付いた。無関心だった自分に気付いた」という発言が相次ぎました。

(4)帰ってきてからの生徒の作文
 帰ってきてから、生徒は春休みを利用して800字詰め原稿用紙5枚の感想を書きます。また、卒業前には原稿用紙10枚の自分史を書くことになっており、そこで学習旅行の体験についてほとんどの生徒が書いています。それらの中から2人の作文を紹介します。

 「『知らない』ということはそうした(差別される)人々に対してどこまでも冷たくなることができるということだと思う。だからこそ『知る』事が重要なのだということができるのだと思う。…人の心あるいはその人がおかれた状況を知ろうとする心、知ろうとする姿勢こそが、平和の原点にまでつながっていくことができるということなのだと感じた」「イラク戦争は九・一一のテロに対する戒めとしてアメリカが始めたものだったがそのとき、アメリカ大統領であったブッシュ氏は一瞬でも『テロリスト以外のイラクの国民』のことを、彼らの気持ちを考えたのだろうか。…『アメリカ国民のため』と叫び続けた彼の自己中心的な心が、学ぼうと、知ろうとしなかった彼の自分本位な心が、戦争という誤ったサイクルを繰り返させることとなったのだ。無知、無関心、知ろうとしない、学ばないといった心こそ、過去を反省せず、現代に誤ったサイクルを繰り返させてしまう原因たるものなのである」

 「私は勉強は自分のためだけにするものだと思っていた。しかし、先生に私が勉強しなければ誰が困るのか、金城さん【注:学習旅行で講演をしてくださった元患者の方】の話を思いだすよう言われた。私は学習旅行のしおりを引っ張り出した。金城さんはエイズやアフガンの子供、地雷で手足を失った子供などから目を離さず、差別に苦しむ人を知ってほしいと仰っていた。先生は、私が学ぶことにはそれだけの意味があるのだ、だからしっかり勉強しなさいと言って下さった。私が勉強しなくなると、この世界の誰かが困ってしまうというのだろうかと思った。私一人でどうにかなるとは思えなかった。しかし、私は『一人』が何かをした、という幾つものことを学んでいた。本当に私が怠けるせいで、誰かが途方に暮れてしまうことがあるかもしれないのだ。また逆に考えれば、私が頑張ればこの世のどこかで幸せになれる人もいるかもしれないのである。先生は、社会から切り離された人間や学問はないということも教えて下さった。今以上に知識を増やせば、見えてくるものも増えるのかもしれない。そしてそれが、誰かのためになるのであれば、私は全力で学ぼうと思う。生まれて初めて、勉強することは誰かのためでもあることを知った」

 学習旅行での経験をアメリカのアフガニスタン攻撃を見る際の手がかりに、あるいは「他人のため、社会のため」にもっともっと勉強していく契機にしています。単なる「以前学習旅行でこんなことを学んだ」という過去の経験で終わらせるのでなく、「今」を見るための視座や「これから」生きていくための指針となっている…それだけ厚みのある経験を、わずか3泊4日の旅行の中で生徒がしていることが分かります。特に今回の旅行では、「誰のため、何のために学ぶのか」ということについて、多くの生徒が作文の中で触れていました。自分のために勉強をするのだったら、生徒はいくらでも手を抜けます。しかし学びの本質が誰かのためにあるのだとしたら ―そして自分が学ばないせいで、学習旅行で出会ったような人々を生みだしてしまうのだとしたら― 学習旅行の後、進路実現を前に、頼りなげではありますが生徒達は以前よりも確かな足取りで歩んでいくようになりました。
3.終わりに
  基本的に、教師を超えて生徒が成長することはまずありません。生徒を成長させようとしたら、まず私達がそれ以上に研鑽を積むしかないと思います。学習旅行を経て、以前よりも(少しは)たくましくなった彼らを見るにつけ、彼ら以上にもっと私達が成長しなければ、と思っています。

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