教育部会
第3回総会(報告)
「ハンセン病と教育」研究の展望と課題―研究動向について
報告者 宇内一文(日本大学大学院)
1.報告者の研究動向
報告者は、「ハンセン病と教育」研究に取り組む大学院生である。現在は、ハンセン病患者のための高等学校である岡山県立邑久高等学校新良田教室(1955-1987)に関する研究を中心に進めている。年に1〜2回は岡山県にある国立療養所長島愛生園に研究調査に出かけ、聞き取り調査や史料収集などの文献調査を行っている。「ハンセン病と教育」という問題に取り組むことになったのは、学部4年生の2002年6月に、国立療養所多磨全生園にある高松宮記念ハンセン病資料館(現、国立ハンセン病資料館)を訪問したことがきっかけである。資料館2階の展示室で、ハンセン病療養所の子どもたちのコーナーを見て感じた気持ちを今も鮮明に思い出すことができる。「ハンセン病療養所のなかにも学校があったのか」、「社会復帰することが困難なのに、高等学校ができたのはなぜなのか」、「高等学校(新良田教室)に進学した人の7割以上が社会復帰できたのはなぜなのか」、これらの単純で素朴な問いは、今でも報告者の研究関心になっている。博士前期課程では、戦前の国立ハンセン病療養所の入所児童の内面形成に関する研究を行った。この研究では、ハンセン病児への地域社会や学校からの偏見と差別の実態の検証、癩予防法における隔離思想と園長中心主義とのイデオロギーの関係性の分析、園長中心主義の具体例として、日本のハンセン病強制隔離政策の中心であった国立療養所長島愛生園において提示された「愛生人」という理想的患者像について一次資料に基づいて検討し理論化を行なった。この研究成果は、修士論文「ハンセン病児問題研究序説」(2005)としてまとめたが、その主要な論点は、研究論文「近代日本のハンセン病療養所における教育機関の研究―国立療養所長島愛生園の『愛生学園』を事例に」(2006)で発表した。
博士後期課程では、戦後のハンセン病療養所における主体形成の問題について研究を行なっている。具体的には、ハンセン病問題を解放するための主人公としての自己形成はどのようになされていったのか、という問題に取り組んでいる。この問題を解明するために、戦後、入所者の社会復帰促進や文化向上などの役割が期待されて開校が実現したハンセン病患者のための高等学校である岡山県立邑久高等学校新良田教室に注目している。報告者は、入所者のための高校教育をハンセン病療養体制の民主化運動とその過程における主体形成の場として位置づけている。そして、そのような位置づけによって、新良田教室は社会復帰の促進を主張する入所者側と隔離主義を主張する厚生省側との政治的な葛藤の場になっているという視点を得た。この方法的視点から、研究ノート「ハンセン病患者のための高等学校の形成過程」(2007)では、戦後のハンセン病療養体制の民主化運動とハンセン病隔離政策の緊張・対抗関係のなかで入所者のための高校教育が形成されるというダイナミズムを解明した。
また、研究論文「ハンセン病患者のための高等学校における校内民主化運動に関する研究―『隔離教育』から『民主教育』への転換に注目して」(2006)では、ベル=ブザー制廃止運動をはじめとした様々な反差別運動のもつ意義の解明にも取り組み、この運動が学校生活の民主化だけでなく、ハンセン病療養体制の民主化にもつながる可能性をもつものであったことを解明してきた。
現在は、「ハンセン病患者のための高等学校における隔離教育的な学校生活と文化に関する研究」という研究課題に取り組んでいる。この研究課題では、隔離教育的な学校生活と文化の実態の背景を解明するために、閉校記念誌等の文献調査や聞き取り調査の分析から浮かび上がる入所者のための高校教育に対する派遣教師と生徒の間の意識や態度、行動のズレに着目している。なぜなら、新良田教室における派遣教師と生徒の間の意識等のズレは、端的にはハンセン病への偏見・差別意識をめぐる政治的な葛藤であったように思われるからである。このような視座から派遣教師と生徒の関係を把握し直すと、新良田教室では、「教師と生徒」という一般的な教育関係に加えて、「療養所当局と入所者」、「健常者と病弱者」、「抑圧者と被抑圧者」というハンセン病政策の隔離主義的な図式が教育関係において重層的に構造化されていたことが明らかとなる。こうしたハンセン病政策の隔離主義が重層的に構造化された教育関係のもとで、入所者の期待に反して新良田教室においては隔離教育的な学校生活と文化が構築されたという点について論究したいと考えている。
2.研究動向
「ハンセン病と教育」に関する全体的な研究動向を見渡してみると、「日本のハンセン病問題児史を直接の研究対象とした、あるいはこれを研究テーマとした総合的・通史的研究は未だなされていない」 (1999)(※1)、あるいは、「(「ハンセン病と教育」研究は:報告者注)民主的な教育研究団体においてさえほとんど取り上げられることなく、忘却されてきた」 (2005)(※2) と指摘されているように、まだまだ研究の遅れが目立っている。しかし、近年のハンセン病問題を取り巻く社会状況の変化によって、「ハンセン病…の(教育:報告者補注)研究が注目されよう」(※3) という状況が教育学のなかでも生まれてきており、今後、研究が進展していく可能性を秘めている。1990年代に入って、「ハンセン病と教育」の通史に言及した最初の著作が公刊されたが、入所者自治会史、患者運動史などの二次資料の記述に批判的な検討を加えることなくそのまま依拠したものであった。これは史料的な制約によるものが大きい。また、その視点も、入所児童の教育の実態を解明するというよりは、彼らの教育が制度的にどのように整備されたのかを記述するものであった。
1990年代後半になると、研究の視点や方法論を意識した実証研究や理論研究が現われた。例えば、ハンセン病療養所の教育機関に関する実証的研究、未感染児の通学拒否事件を究明しようとする研究、入所児童の精神生活の深層を解明しようとする研究などである。また、資料的な制約を聞き取り調査等によって補おうとする実証主義的な研究方法を採用する研究も登場した。
2000年代に入ると、一次資料を駆使した本格的な実証研究が登場するようになってきた。この背景には、ハンセン病の関連資料が編集復刻されたことが大きいということがある。また、研究の視点が、反省的であるという特徴を持っている。新しい研究動向としては、ハンセン病患者のための高等学校である岡山県立邑久高等学校新良田教室に関する研究、戦後の患者運動とその過程における主体形成を把握しようとする研究が発表されている。
以上のような「ハンセン病と教育」を研究テーマにした全体の研究動向を踏まえて、さらに詳しく研究領域毎に文献を取り上げ、研究動向を検討し、今後の課題を展望したい
(1)通史・総論
「ハンセン病と教育」について通史・総論を内容とするものとして、全国病弱虚弱教育史研究連盟、清水寛の研究、江連恭弘の解説(※4)を挙げることができる。
全国病弱虚弱教育史研究連盟による研究(※5) は、病弱虚弱教育史の一環としてハンセン病児と未感染児の教育・保育問題について言及し、全国のハンセン病療養所におけるハンセン病児および未感染児に対する私的教育から公教育への移行、つまり、戦前の「学園教育」から戦後の「分校・分教室」への移行経過、地域の小・中学校への通学経過などを明らかにした最初のものである。全体として沿革史風に記述されている。
清水寛の論文は、日本近現代障害者問題史研究の一環としてハンセン病問題史を位置づけ、ハンセン病児の生活・教育・人権問題のもつ社会的・歴史的要因を解明しようとするもので、そのための研究課題と目的、仮説と視点を呈示して「ハンセン病児問題史」として総合的に研究しようと宣言する意欲的なものであった。むしろ、これは研究というよりも、「ハンセン病と教育」研究の課題と方法として理解すべきものである。清水は、具体的な研究課題として、以下の10の問題について調査・研究の必要性を訴えた。
1)対象とすべき子どもについて
2)ハンセン病児問題史の分野と構造
3)子ども処遇の分化過程とその実態
4)子どもの生活・教育空間
5)療養所と地域社会・周辺住民の関係の変化
6)各療養所の子ども問題史の比較検討
7)子ども問題の戦前と戦後
8)旧植民地の療養所の子ども問題
9)国際的動向との関連
10)前史の解明と社会復帰者の生活調査・研究
江連恭弘は、「患者児童」を対象とした療養所での教育、「保育児童」を対象とした施設や社会復帰問題、高校教育と社会復帰、ハンセン病問題と教師といった観点で、「ハンセン病と教育」について概説的に記述している。江連は、「ハンセン病と子ども・教育についての全体的な構造を捉え、課題を導き出す」ために、以下の3つの課題の調査・分析・検討が進められることを期待している。
1)学園・分校関係の資料と実態について、療養所や自治体などの関係機関での調査を進めること
2)療養所における教育課程や、学力などについての実態把握を進めること
3)子どもたち・教師たちについての実態把握を進めること
(2)学園教育
学園・分校・分教室に関する研究には、清水寛・埼玉大学障害児教育史ゼミナール集団の全生学園と望学園に関する研究(※6) 、宇内一文の愛生学園に関する研究(※7)がある。
清水寛・埼玉大学障害児教育史ゼミナール集団は、療養所内の教育の展開を「私塾的教育期」、「学園教育期」、「分校・分教室教育期」という時期区分によって把握し、それぞれの時期におけるハンセン病児の生活・教育・人権の実態や問題について論究している。学園関係者への聞き取り調査が豊富であるのが特徴で、資料的価値も高いと思われる。
学園関係者への聞き取り調査に関連させて、清水寛の患者補助教師の聞き取りに関する研究(※8) がある。入所者の自己教育の内容を検証する上で今後、この手法を用いた研究の発展が期待される。
宇内の論文は、愛生学園を事例にして、療養所の教育機関である学園が、療養所の構想を反映した教育機関であることを論究した研究である。そこで目指された教育は、癩予防法の隔離思想を前提とするもので、療養所で生涯を終えることを使命としていたことを解明した。また、学園の教育が戦前と戦後で変化することのないものだったことにも言及した。
(3)児童作品
国立ハンセン病療養所に入所しているハンセン病児の作品の内容を分析することによって、入所児童の精神生活の深層を探ろうとする研究には、国立療養所多磨全生園、栗生楽泉園、長島愛生園のハンセン病児が作成した文芸作品の内容を分析した篠崎恵昭・清水寛の一連の研究(※9) がある。
篠崎恵昭・清水寛は、多磨全生園のハンセン病児の作品を分析し、ハンセン病強制隔離政策の隔離思想が、子どもたちの生活世界と生活意識の深層に浸透していたことを解明した(1998)。また、栗生楽泉園のハンセン病児の作品の分析からは、子どもたちの精神生活に隔離思想が刻まれながらも、戦後の療養所における生活改善運動への期待と意欲が読み取れることを指摘した(2000)。長島愛生園のハンセン病児の作品の分析では、隔離思想の具現化としての「愛生人構想」に注目し、子どもたちの精神生活に浸透している隔離思想の実態を理想的患者像として再構成した(2001)。
(4)新良田教室
ハンセン病患者のための高等学校である岡山県立邑久高等学校新良田教室に関する研究には、丹羽弘子(※10) 、上野哲 (※11) 、山田栄(※12) 、宇内一文(※13) の研究がある。
丹羽の研究は、新良田教室の歴史を取り上げた最初のもので、この分野で先駆的な研究であるといえる。
上野哲の研究は、ハンセン病療養所を「隔離の場」から「生活の場」へと変えていかなければならないという課題から、新良田教室の卒業生に注目し、彼らが在学中からその原動力として期待され、かつ自負していたことを聞き取り調査によって論証したものである。
山田栄の研究は、新良田教室の派遣教師の行動に注目して、派遣教師の行動が隔離教育を有名無実化し、民主教育を確立したということを解明しようとしたものである。
宇内の研究は、新良田教室をハンセン病療養体制の民主化運動とその過程における主体形成の場として位置づけ、新良田教室が社会復帰の促進を主張する入所者側と隔離主義を主張する厚生省側との政治的な葛藤の場になっているという視点を得ている。この方法的視点から、新良田教室の形成過程に関する研究では、戦後のハンセン病療養体制の民主化運動とハンセン病隔離政策の緊張・対抗関係のなかで入所者のための高校教育が形成されるというダイナミズムを解明している。また校内民主化運動に関する研究では、ベル=ブザー制廃止運動をはじめとした様々な反差別運動のもつ教育的意義の解明にも取り組み、この運動が学校生活の民主化だけでなく、ハンセン病療養体制の民主化にもつながる可能性をもつものであったことを解明した。
(6)未感染児
未感染児に関する教育研究としては、服部正の研究(※14)を嚆矢として、金福漢・清水寛(※15) 、熊見尚三(※16) 川崎愛の研究、(※17) 、藤野豊の解説(※18) がある。
服部正の研究は、未感染児の保育問題について、その実態と施策の背景を具体的に検討しながら、その反福祉的な性格や人権侵害の実態について解明しようとした先駆的な論文であるということできる。熊見尚三の研究は、長島愛生園の愛生保育所の教師であった大野悦子のライフヒストリー研究である。未感染児の社会復帰問題に関する愛生保育所の取組みの様子も確認することができる。
金福漢・清水寛、川崎愛、藤野豊の研究は、未感染児の教育問題として通学拒否事件を取り上げている。これらの研究の論点は、未感染児の通学拒否事件の背景として、(1)黒髪町(韓国・定着村)というハンセン病にゆかりのある地域であること、(2)国家が必要以上にハンセン病への恐怖感を煽ったこと、という2点である。金・清水の研究(1997)(2002)は、日本と韓国で発生した未感染児の通学拒否事件が日韓で同じような問題構造をもつことを論究している。川崎は、黒髪校事件を事例にして、日本国憲法・児童福祉法・教育基本法などの法律がその当時すでにありながら、未感染児の「子どもの権利」が保障されていなかったことを指摘し、その要因には国が必要上にハンセン病への恐怖感を煽った結果として生じた地域住民の偏見・差別があったと言及している。藤野も未感染児に対する地域住民の共学拒否事件は国の政策に帰結するものとしている。
しかし、これらの研究は、ハンセン病とゆかりの深い地域ということに重点を置くあまりに、同時代的にはどの療養所においても未感染児の通学が困難であったということに論究していないという問題点がある。未感染児の通学拒否事件が国のハンセン病行政・政策が引き起こした問題と指摘しているにもかかわらず、この問題を地域に固有な問題として認識している。今後、未感染児の社会復帰が療養所の所在する地域に関係なく、どの療養所においてもハンセン病児と同じように困難であったことを明らかにするとともに、療養所当局が行った未感染児の社会復帰対策の問題点についても論究していく必要があるだろう。
(※1) 清水寛「日本ハンセン病児問題史研究[T]―研究の課題と『日本ハンセン病児問題史年表(第1次案)』『埼玉大学紀要教育学部(教育科学T)』48巻1号、1999年、27頁。
(※2) ハンセン病問題に関する検証会議「ハンセン病強制隔離政策に果たした各界の役割と責任(2)教育界」『ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書』財団法人日弁連法務研究財団、2005年、409頁。
(※3) 荒川智他「障害児教育史」教育史学会編『教育史研究の最前線』日本図書センター、2007年、101頁。
(※4) 清水寛(1999)前掲論文。江連恭弘「解説」『近現代日本ハンセン病問題資料集成』補巻10「ハンセン病と教育」不二出版、2006年。
(※5) 全国病弱虚弱教育連盟病弱教育史研究会編『日本病弱教育史』1990年。
(※6) 清水寛・埼玉大学障害児教育史ゼミナール集団『ハンセン病療養所における子どもの生活・教育・人権の歴史―国立療養所多磨全生園を中心に』1999年。
(※7) 宇内一文「近代日本のハンセン病療養所における教育機関の研究―国立療養所長島愛生園の『愛生学園』を事例に」日本大学教育学会『教育学雑誌』41号、2006年
(※8) 清水寛「ハンセン病児問題史研究[U]―聴き書き:国立療養所沖縄愛楽園における宮城兼尚氏の『患者補助教師』としての歩み(1)」『埼玉大学紀要教育学部(教育科学)』48巻2号、1999年。同「ハンセン病児問題史研究[V]―聴き書き:国立療養所沖縄愛楽園における宮城兼尚氏の『患者補助教師』としての歩み(2)」『埼玉大学紀要教育学部(教育科学T)』49巻1号、2000年。
(※9) 篠崎恵昭・清水寛「国立療養所多磨全生園のハンセン病児童・生徒の文集の検討―文集『呼子鳥』にみる精神生活の深層」『埼玉大学紀要教育学部(教育科学T)』47巻2号、1998年。同「国立療養所栗生楽泉園のハンセン病児の精神生活の深層―『高原』誌の作品を通して」『埼玉大学紀要教育学部(人文・社会科学)』49巻2号、2000年。同「国立療養所長島愛生園のハンセン病児の精神生活の深層―“愛生人”構想からみた『望ケ丘の子供たち』(1941年)・『愛生』誌の検討」『埼玉大学紀要教育学部(人文・社会科学)』50巻1号、2001年。
(※10) 丹羽弘子「ハンセン病入所者にとっての唯一の高等学校の歴史―岡山県立邑久高等学校新良田教室の創設とその後の歩み」日本特殊教育学会第38回大会「自主シンポジウム19」配布資料、2000年。
(※11) 上野哲「ハンセン病療養所の課題―新良田教室卒業生への聞き取り調査を手がかりに」日本医学哲学・倫理学会編『医学哲学・医学倫理』22号、2004年。
(※12) 山田栄「日本の人権の歴史 ハンセン病隔離政策と学校教育―新良田教室であったこと」兵庫県人権啓発協会『研究紀要』7輯、2006年
(※13) 宇内一文「ハンセン病患者のための高等学校における校内民主化運動に関する研究―『隔離教育』から『民主教育』への転換に注目して」『ハンセン病市民学会年報2006』2006年。同「ハンセン病患者のための高等学校の形成過程」日本教育学会『教育学研究』74巻2号、2007年。
(※14) 服部正「ハンセン病と保育―日本保育史の落丁」待井和江先生古稀記念論文集編集委員会編『障害児保育論 その理論と方法―待井和江先生古稀記念論文集』全国社会福祉協議会、1988年。
(※15) 金福漢・清水寛「ハンセン病『未感染児』の共学拒否問題に関する史的検討(1)国立療養所菊池恵楓園附属竜田寮の児童に関する熊本市立黒髪小学校事件」『障害者問題史研究紀要』38号、1997年。同「韓国におけるハンセン病回復者『定着村』の『未感染児』に対する共学拒否事件の史的検討―1960年代の慶尚道と首都ソウルを中心に」『埼玉大学紀要教育学部(教育科学T)』51巻1号、2002年。
(※16) 熊見尚三「ハンセン病患者と共に歩んだ―大野悦子」兵庫県人権啓発協会『研究紀要』2輯、2001年。
(※17) 川崎愛「ハンセン病『未感染児』通学拒否事件に関する研究―『子どもの権利』の視点から」『平安女学院大学研究年報』3号、2003年
(※18) 藤野豊「解説」『近現代ハンセン病問題資料集成』5巻「竜田寮児童通学問題T」不二出版、2003年