ハンセン病市民学会

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 設立総会参加者の声

「アイヌ民族と共に生きるシサムの会」発行シサム通信
2005年5月27日 第151号より転載の許可をいただきました。
福岡県遠賀郡水巻町ニ東三丁目8-24 TEL・FAX 093-201-3238 

ハンセン病市民学会 参加記 松岡 節子(福岡市)

 熊本電鉄の駅を降りると真っすぐに一本の道が通っている。入り口には再春荘病院とあり、その鬱蒼とした深々い木立の奥に菊池恵楓園はありました。
 19万坪の敷地の中央にある会館に着くと、そこは参加者でいっぱいでした。やっと前の席に辿りつくと、私の隣に座った人たちが中国語を喋っている。「おや」国外からの参加者も来ているのだと思ったら、後にあげる台湾楽生院療養所の入所者と弁護団の方々でした。

 総会はハンセン病市民学会の規約、活動方針(交流・検証・提言)、予算、役員案を満場一致で可決しました。
 ジャーナリスト斎藤貴男さんの記念講演は、現代社会に、ますますかけられている管理のシステムは、社会の状況が帝国主義が台頭してきた時代の風潮と同じ様相をしてきている危機的状況の内容でした。
 健康増進法=健康であることが国民の責務である。このことは、ドイツ・ワイマール時代の健康手帳なるものと同じ意味を持つ。ICカードの導入や住基ネットなど、個人の情報がすべて国に管理され、優生思想を重視する線上には、差別と戦争の構造が見えてくる。かつてハンセン病の隔離、差別の歴史に荷担してきた人々の差別の意識構造にも通じるという内容でした。
 
 シンポでは、4年前の判決が出たにも関わらず、入所者の医療問題や生活環境整備等遅々として進まず、国が負うべき責任を果たしていない現実が報告されました。入所者だけではなくその家族が声を大にして生きていける社会にしなければならないこと、差別の連鎖を断ち切るには、一人一人がどうすればいいのかの提起もありました。

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 2日目は韓国ソロクト、台湾・楽生院療養所問題の分科会に出席しました。
日本統治下にあった戦前の台湾、韓国のハンセン病患者にも、日本同様に隔離政策がとられていました。それは日本以上の過酷な強制労働、断種、堕胎が懲罰として容赦なく行われていました。治療どころか強制労働でひどくなった手を手当てもせず切り落としたという証言に胸がつまりました。
 日本国内と同じ法律での隔離政策でしたが、台湾・韓国の入所者には、2001.5.11判決後、6月に成立したハンセン病補償法が認められませんでした。1960年以降の国の政策がはっきり誤りだったと認め、国内では国籍に関わらず、一度でも療養所に入った人は、1960年に遡って全て救済するとした判決にも関わらず、韓国・台湾療養所については、国立療養所だったかどうかわからないとして棄却してしまいました。
 現在、処分取り消しの行政訴訟に向け50万署名に取り組んでいますし、楽生院強制退所阻止の運動をしています。現在、同院に暮らしている3百余名の入所者は、建設中の病院に移るよう迫られています。暮らし慣れた療養所を追われることは、高齢の入所者に「再度隔離」させることにもなります。

 交流後、恵楓園内を入所者の方が案内してくれました。納骨堂には故郷に戻れなかった骨壷が、無言の訴えをしていました。「厚い壁」2m以上もある壁には、入所者の投石でいくつもの穴が開いていました。監房の黒い板切には、出所を待ち望んで刻み込まれた日数が残っており、「ハンセン病は恐ろしい」と国が宣伝した為に根ついた社会的差別の実態が目に焼き付いて離れません。
  

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