設立総会参加者の声
大畑 靖夫さん ・木戸 宏さん ・松岡 節子さん
ハンセン病療養所菊池恵楓園でひらかれた「ハンセン病市民学会」に参加しました。はっきりとわかるハンセン病の後遺症をもっている元患者をはじめ、全国から500人を超える参加者がありました。これは、ハンセン病が過去の出来事ではなく、現在もなお大変な差別のなかでもがき苦しんでいることのあらわれでもありました。
2001年の熊本地裁での国の隔離政策の誤りを認めた判決が確定して、一定の補償と救済策が講じられました。しかし、「温泉宿泊拒否事件」等、元患者をとりまく偏見や差別はいまだに根深く残っていることも知りました。
「人間の顔をしていないので人間として言う権利は無い」とまで中傷する人がいる、という会場発言に胸がつまりしました。
療養所の中にある納骨堂には、引き取り手がなく、死んでも故郷へ帰れない人の遺骨が二万数千体も眠っています。そして、いまだにハンセン病を明らかにすることが出来ずに長い間十分な治療もうけられない人もいます。
今回の集会に参加して肝心なことを学びました。ハンセン病に対する救済は、かわいそうだから「施し」をすることではではなく、たまたまハンセン病に罹ったことで奪われた人権をみんなでとりもどすという、あたりまえの考え方に立つことでした。また、このことがハンセン病に限らず、すべての差別の連鎖を断ち切る力となると思いました。
帰り際、施設の中で盆栽に水をまいている入所者の一見平穏そうな姿に、これまでの計り知れない労苦が浮かんできました。ハンセン病だけでなく、障害を持つ人や高齢者など弱い人たちの「人間の尊厳」をどうまもっていくのかに通じる素晴らしい「市民学会」の発足でした。
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熊本日日新聞(5月19日付)「読者のひろば」に掲載されたものです |
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以下は「アイヌ民族と共に生きるシサムの会」発行 |
今なぜハンセン病問題を広く国民的課題として考え、行動するための「市民学会」が求められるのか。それは、この集会初日のシンポジウムでの谺雄二氏(ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会会長)の、心底からの訴えに凝縮されるでしょう。谺氏は訴えました。
「国賠訴訟勝利から4年、何が変わったのか。多磨全生園医療過誤訴訟(注)に見られるとおり、政府は責任を取らない。小泉首相はパフォーマンスに利用しただけ。我々の仲間は全国に3300人。平均年齢77才、毎年300人近くが亡くなっている。あと10年すれば絶滅する計算になる
。しかしその大多数が郷土の親の墓参りすらできない。患者家族の被害 〜表沙汰にしたくない〜 この人生被害を私たちは究明できたのか。政府は我々の絶滅を密かに、あからさまに願っている。この問題の世代間の継承が必要。最後の一人まで、生きていてよかったと思われる人生を全うしたい。危機感がある。もう時間がない」
国は患者隔離の必要がないと判明したあとも隔離政策を続け、完治した人まで療養所に押し込めて自由を奪った。過酷な労働を強制して症状を悪化させた。断種、堕胎により生まれる子どもの生命を奪った。この非道な国家犯罪を風化させてはならない。黒川温泉での宿泊拒否事件は、今なお根強い差別が生き続けていることを証明した。それを解決するのは私たちすべての市民の責務でもあるでしょう。
★全国から520人が結集し、市民学会総会は大成功。台湾からも参加★
さて私は1月、毎日新聞の報道でこの学会の結成が準備されているのを知り参加すると決めたものの、以前にも記したとおり、私がこの問題に首を突っ込んだのは一昨年の黒川温泉宿泊拒否事件からで、鹿屋の星塚敬愛園入所者と支援の皆さんの少数しか知り合いがいない
。まして鹿屋の皆さんは、87才の田中民市さん(原告第1号)始め80才近い高齢の方々ばかり、熊本の集会への参加は厳しいだろう。誰か知り合いがいるだろうか、と少々不安だった。おまけに宿も確保していない。
会場の菊池恵楓園の場所さえよく知らないまま、うろうろとさ迷って会場に到着。入り口で地元の小松先生に出会い少し安心。
会場は超満員で、入りきれない50人ほどが外にいる。やがて大川さん、玉城さん、上野さんの「敬愛園3人娘」の元気なお姿を拝見して心強いと思っていたら、さらにあちこちから声がかかる方を見ると、前号のシサム通信を見て参加した人など顔馴染みがたくさんで、すっかり嬉しくなった次第である。北海道から花崎皋平さんも来られていたし、沖縄からの参加もあり、正に全国集会にふさわしい。また、高校生やボランテイアの大学生など、若い人たちの姿も目立った。さすがに熊本地裁判決をかちとった地元だけあって、マスコミも含めて熱気が伝わってくるものがあった。以下、集会の模様をご報告したい。
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集会は自治会代表の歓迎あいさつの
あと、市民学会の活動計画、会則、役員が満場の拍手で承認された。学会の基調は「交流・検証・提言」である。
フリージャーナリストの斎藤貴男氏が「ハンセン病問題と現代社会を結んで考える」と題して講演。イラク戦争で殺された一般の日本人は「自己責任」とされ、英軍のお雇い日本人が英雄扱いされる風潮はもはやファシズムというしかない、と指摘。教育改革国民会議座長の江崎玲於奈氏が、教育改革の指針とは「個人の能力を伸ばすにはその能力にふさわしい教育を与える必要がある」とし、「血を採って遺伝子を調べれば能力のあるなしは解る」と語っていたこと。こういう時代遅れの人間を教育改革の指導者としている。そういう思想はハンセン病問題解明の過程で誤りが証明された。国はハンセン病問題の根本を何もわかっていない。問題は繰り返されると指摘した。
また「父が大臣、叔父はA級戦犯の首相。本人は受験勉強もせずに大学に入り、就職試験も受けずに就職し、親が死ねば当然のように国会議員になり次期首相候補のプリンスと言われている。社会ダーウイニズム(進化論)に日本は冒されている」と語り参加者の笑いを誘った。
続いて行われたシンポジウム「市民学会に期待するもの」でも多くの重要な問題提起がされた。インドネシアから駆けつけた和泉眞藏氏の「ハンセン病解明の過程で獲得した科学的な知識を、私たちの武器として役立てよう」との提起は鋭いものがあった。西日本弁護団長の徳田靖之氏は「差別の連鎖を断つには交流が大切だ。被差別部落、水俣病、在日、アイヌの人たちとの交流で、被差別者がお互い学びあうことが学会に課せられている」と提起があった。
谺氏からは「検証会議の最終報告書は全国民に読んでほしい。ここにはハンセン病だけでなく日本のすべての問題がある。しかし、著作権が厚生労働省にあるとして抑えこまれている。これを突破しなくてはならない」という提起があった。
「検証会議のメンバー一人一人がこの検証を通して何を学んだのか、それをまず活字にして頂きたい」との会場からの要望に、大きな拍手がまき起こった。学会事務局長の藤野豊氏は「ハンセン病問題の解決を抜きに日本は変わらない」と訴え、差別の連鎖を断ち切る提言を求めた。
午後5時半に1日目が終了。会場を変えて国賠訴訟勝利判決4周年のレセプションが菊南温泉観光ホテルで行われた。
歴史的判決を勝ち取った熊本地裁判決から早や4年。第1次原告となった星塚敬愛園と菊池恵楓園の「13人の勇士」の殆どが元気に参加された。ここでも、敬愛園と交流を続けている大分県別府の高校生や、福岡県豊前市の解放同盟の皆さん、真宗大谷派の僧侶、恵楓園の職員さんなどと知り合いになって交流のひとときを過ごした。ちなみに宿は恵楓園の職員アパートに転がり込んだ次第である。
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2日目は二つの分科会に分かれて行われた。西南学院大学の平井佐和子氏から、54年前に熊本県菊池で起きた、ハンセン病患者であるが故に死刑を執行された「藤本事件」の真相究明へ向けたアピールや、解雇撤回を闘う黒川温泉アイスターホテル元従業員の報告と決意表明があり、会場からも熱心な質問があった。アイスターホテル問題に関連して、恵楓園入所者の志村康氏からマスコミ報道の問題が指摘された。それは「恵楓園自治会宛てに届いた数多くの非難・中傷文書で差別が繰り返されるきっかけとなったのは、『ホテル総支配人の謝罪を元患者が拒否』という誤った報道が原因。本当の謝罪なら我々は受け入れる。マスコミ報道が差別の連鎖を作り出すことに細心の注意を払ってほしい」という趣旨で、肝に銘じて承った。言い訳と謝罪は違うのだ。
さらに志村氏は『温泉に入るより骨壷に入れ』など露骨な投書や電話があり、内の一人とは時間をかけて話し合い、心から理解して貰うことができたと紹介した。アイスター元従業員からは、「ホテル従業員として加害者の立場にあった私たちが、解雇という被害者にされて目に見えないものがようやく見えるようになった。そんな私たちを恵楓園の皆さんは優しさをもって接してくださり、人権について学ぶことができた」と感謝、大きな拍手を浴びた。
また、別の分科会では、日本の植民地時代に建てられた韓国ソロクトと台湾楽生院からの日本政府に謝罪と補償を求める裁判についての報告があった。さらに退所者の実情についての報告で、国は予算の削減を進め「ハンセン病立ち枯れ政策」が進行しているなど、紙面では語り尽くせない多くの多くの問題が発生しており、決して過去の問題としてハンセン病問題を見てはならないことを痛感させられた。
(注)多磨全生園医療過誤訴訟
東京都の同療養所で、医療ミスにより山下ミサ子さん(仮名)が重度の後遺症となった事件。裁判は山下さんの全面勝訴となった(2005・1・31東京地裁判決)が、国が控訴しニ審が争われている。熊本地裁判決での国の謝罪は何だったのかが問われている。
熊本電鉄の駅を降りると真っすぐに一本の道が通っている。入り口には再春荘病院とあり、その鬱蒼とした深々い木立の奥に菊池恵楓園はありました。
19万坪の敷地の中央にある会館に着くと、そこは参加者でいっぱいでした。やっと前の席に辿りつくと、私の隣に座った人たちが中国語を喋っている。「おや」国外からの参加者も来ているのだと思ったら、後にあげる台湾楽生院療養所の入所者と弁護団の方々でした。
総会はハンセン病市民学会の規約、活動方針(交流・検証・提言)、予算、役員案を満場一致で可決しました。
ジャーナリスト斎藤貴男さんの記念講演は、現代社会に、ますますかけられている管理のシステムは、社会の状況が帝国主義が台頭してきた時代の風潮と同じ様相をしてきている危機的状況の内容でした。
健康増進法=健康であることが国民の責務である。このことは、ドイツ・ワイマール時代の健康手帳なるものと同じ意味を持つ。ICカードの導入や住基ネットなど、個人の情報がすべて国に管理され、優生思想を重視する線上には、差別と戦争の構造が見えてくる。かつてハンセン病の隔離、差別の歴史に荷担してきた人々の差別の意識構造にも通じるという内容でした。
シンポでは、4年前の判決が出たにも関わらず、入所者の医療問題や生活環境整備等遅々として進まず、国が負うべき責任を果たしていない現実が報告されました。入所者だけではなくその家族が声を大にして生きていける社会にしなければならないこと、差別の連鎖を断ち切るには、一人一人がどうすればいいのかの提起もありました。
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2日目は韓国ソロクト、台湾・楽生院療養所問題の分科会に出席しました。
日本統治下にあった戦前の台湾、韓国のハンセン病患者にも、日本同様に隔離政策がとられていました。それは日本以上の過酷な強制労働、断種、堕胎が懲罰として容赦なく行われていました。治療どころか強制労働でひどくなった手を手当てもせず切り落としたという証言に胸がつまりました。
日本国内と同じ法律での隔離政策でしたが、台湾・韓国の入所者には、2001.5.11判決後、6月に成立したハンセン病補償法が認められませんでした。1960年以降の国の政策がはっきり誤りだったと認め、国内では国籍に関わらず、一度でも療養所に入った人は、1960年に遡って全て救済するとした判決にも関わらず、韓国・台湾療養所については、国立療養所だったかどうかわからないとして棄却してしまいました。
現在、処分取り消しの行政訴訟に向け50万署名に取り組んでいますし、楽生院強制退所阻止の運動をしています。現在、同院に暮らしている3百余名の入所者は、建設中の病院に移るよう迫られています。暮らし慣れた療養所を追われることは、高齢の入所者に「再度隔離」させることにもなります。
交流後、恵楓園内を入所者の方が案内してくれました。納骨堂には故郷に戻れなかった骨壷が、無言の訴えをしていました。「厚い壁」2m以上もある壁には、入所者の投石でいくつもの穴が開いていました。監房の黒い板切には、出所を待ち望んで刻み込まれた日数が残っており、「ハンセン病は恐ろしい」と国が宣伝した為に根ついた社会的差別の実態が目に焼き付いて離れません。

