春爛漫を通り越して、クリニックの周りは眩いばかりに新緑一面のこのごろです。お便りがついつい遅れてしまいましたが、クリニックは地域にしっかり根を下ろして、追い立てられるように忙しい毎日が続いています。今年は異常な暖冬で、クリニックの畑では、冬中緑の野菜が途切れませんでした。昨年秋から所沢に移り住んだ認知症の母は、畑で採れた野菜を、「青物」と言って毎日食べているおかげか、今日もご機嫌でデイ・ケアに行きました。ただし当人は、「学校に行く」のだと思っているようです。
先日、石山春平さんの「厚生労働大臣賞」受賞記念パーティーがありました。私は母と留守番で、主人が出席させていただき、皆様方の晴れやかな集合写真を見せてもらいました。石山さんは、早くからご自分の既往歴を明らかにされた上で、近くの病院に通院し、またその病院の事業に関連して、福祉関係のバスの運転をしておられるようです。社会復帰の草分けのお一人ですね。本当におめでたいことです。そして先日の「市民学会」、2年ぶりで懐かしい草津に参りました。土曜日の深夜に到着して、日曜日の午後戻るというハードスケジュールでしたが、懐かしい方々にお会いし、皆さんの活躍される様子を間近に拝見できて、とても嬉しい一日でした。
先日クリニックに、懐しいTさんが来られました。10年ぶりだと思います。Tさんは、かつて全生園にいたころ、菌陽性で再発が確認できてから7年間、毎回DDS少量単剤処方が続き、ほとんど治療らしきことを受けずに経過していました。初めて私の外来に来られた時は、全身に重度の活動性病変が認められ、「これは大変なことになりそうだ」と、内心思いました。ハンセン病は、らい菌に対する個体の反応力に応じて病像が決まります。またしばしば治療に伴って生じる「らい反応」も、個体の免疫力に深く関係しています。この方の病型は、BLで、7年前の再発時にはBTであっただろうと推測されました。適切な治療をしないで放置すると、このように病型が重症型に向かって動きます。どのような病型でも、早期発見・早期治療が可能ならば、らい反応はきわめて軽度か、またはほとんど経験せずに治ってしまいますが、Tさんのように7年間放置して、しかもBTからBLに変化した場合、2型らい反応が相当強く起きるはずです。らい反応を恐れて治療しないと、病状は必ず重症化し、それに平行して重度のらい反応が起きますから、Tさんの場合、とても危険な状態です。しかしこのまま放置すれば、ますます危険度が高まります。
Tさんは、東京都内で一般企業に勤務していて、職場には病気のことは知らせてありませんから、入院はもちろん、外来受診のために会社を休むこともできません。電話連絡で病状を聞いたり、土日に通院してもらったりしました。本来の菌を殺す治療とらい反応を抑える治療を同時に開始し、やっと病状が落ち着いたのは2年後でした。
久しぶりに会ったTさんは、その後会社を退職されて、今は悠悠自適のうらやましい生活を、奥様と一緒に楽しんでおられるようです。ご夫婦そろって元気なお顔を見せてくださって、私も晴れやかな気分になりました。
さてここで、私たちのクリニックの名前について、ご説明しておきます。私は、三重県桑名市の生まれです。三重大学を卒業するまで、三重県で育ちました。江戸時代に松平家の治める桑名藩は、「桑名の殿様」で知られたところです。東海道五十三次の中で、熱田と桑名だけは海路で結ばれ、「七里の渡し」が桑名への入り口でした。泉鏡花の「歌行灯」で知られていますように、かつては遊郭を抱えた宿場町として栄えたところです。私の祖先は、桑名で材木問屋を営んでおりましたが、一人息子の父は家を継がず絵の道を求めて出奔、京都や東京で絵の修行をしながら、楽しい青春時代を送っていたようですが、ふとしたことで仏道に目覚め、故郷に戻って一番檀家数の少ない小さな寺「大園寺」を選んで、そこの住職になりました。父は生涯自分の好きなことだけをやりとおした、幸せな人だったと思いますが、社会的な奉仕活動を、実に生き生きとやっておりました。私が子供のころ、当時の少年院をよく訪問していたのを思い出します。在日外国人への差別が根強く残っていた時代に、一般市民との融和にも努めていたようです。また昭和30年代の後半ごろ、始めてインドの仏跡を訪ねたことが転機になって、ネパールやインドの人々との交流をはじめ、姉達は有志を募ってチャリティーバザーを行い、外国の学生さんたちをホームステイさせたりしていました。彼らは「ニルヴァーナ(涅槃)」というグループを作り、幼い私はなんだかハイカラでかっこいいなあと思っていました。またこの懐かしいニルヴァーナの名は、その後私が頂戴してNGOを作り、療養所勤務時代は、稚拙な機関紙なども出しておりました。情勢が変わって、開業後はなかなか発行できておりませんが、またいつの日かニルヴァーナを出せるといいなあと思っています。父は、大勢の人々を招いて大騒ぎするのが大好きで、四季折々に多彩な国の人々を招いた食事会は、昔懐かしい思い出になっています。私は、人生最終ラウンドでの方向転換に際して、父への思いをどこかに留めておきたいと思いました。そこでこの大園寺をもじって、大円→おおえん→おうえんポリクリニックとなってしまったのです。ちなみにポリは、「複数」の意です。皮膚科と内科の2科がありますので、受診される方には、何かと都合の良いことも多かろうと考えました。ついでにこの名称は、姪の提案を採用したものです。
7月上旬、開設2周年の記念パーティーを計画しています。また、お便りをお送りいたします。