和泉眞藏 インドネシア便り

9【医師として全生園医療過誤事件を考える】
 市民学会の皆様、早くも2月に入ってしまいましたがお元気でお過ごしのことと思います。おかげさまでこちらは常夏の島の雨季を順調に過ごしています。
 1月は日本のハンセン病にめまぐるしい動きがありました。弁護団や原告の必死の活動と支援者の力強い支えでハンセン病補償法が改正され、全ての旧植民地の回復者の方にも国内回復者と同額の補償金が支払われることになりました。考えられる中で最も早期の解決で、国宗弁護団代表が述べておられるように、まさに「“満額回答”と言ってもいい」(熊本日日新聞)ものです。おめでとうございました。
 1月31日、もうひとつの裁判である全生園医療過誤事件について、東京高裁で和解が成立しました。こちらも原告の勝訴和解ですから本当によかったと思います。弁護団の方々、「支える会」の皆様、本当にご苦労さまでした。そして何よりも山下ミサ子さんお疲れ様でした。厳しい日々も長かったと思いますが、頑張ってくださったおかげで療養所医療の改革に大きな一歩を踏み出す脚がかかりができました。これまで誰もなし得なかったことです。本当にありがとうございました。
 今回のインドネシア便りでは、私とこの全生園事件についてお話したいと思います。

 私が山下さんの名前を知ったのは90年代の早い時期です。当時全生園の並里まさ子先生が、入園者の血清を国立多摩研究所(現国立感染症研究所ハンセン病研究センター)の私の研究室に持って来て、治療経過と血中特異抗体の変化を見ておられました。その患者さんの中に山下さんの名前があり、抗体価が非常に高い患者さんとしていつも注目していましたが、彼女があのようなひどい処置を受けていることは知りませんでした。
 私が山下さんの受けた“治療”について知ったのは、インドネシア派遣のために東京で1ヶ月間の研修を受けていた2002年の春のことです。弁護士さんが面会に来られて事件の概要を説明し、意見書を書いてほしいと依頼されました。早速滞在先に資料を送って頂き、研修の合間に資料を読み、出発準備に忙しい中で意見書を書き上げました。ハンセン病専門医の目から見ればこの段階で医療過誤は明らかでしたから、全生園も過誤を認めると信じ、関係資料は一切持たずに同年6月インドネシアに旅立ちました。
 現地に着いてからは、研究室の立ち上げなどで多忙でしたし、弁護団からもなんの連絡もありませんでしたから、問題は解決したと思い込んでいました。
 ところが、赴任から1年半たった2003年12月26日、内藤弁護士から事件が東京地裁で係争中であるとのメールを受け取りました。私は思わず「マサー!」とインドネシア語で叫びました。日本語で言うと「まさか、嘘でしょう!」というほどの意味です。内藤先生の要請は、前年に書いた意見書を手直してほしいというものでした。早速カルテなどの資料をインドネシアまで送ってもらい、事件の全経過を詳細に検討し直し、新しく意見書の草案を書きましたが、完成までに3か月近くかかりました。この間何度も内藤先生とメールでやりとりしながら推敲を重ねたからです。
 さまざまな準備のあと、2004年7月12日と26日の2回に分けて専門家証人の尋問が行われました。7月12日は原告側が並里先生で被告側が小関医師、26日は原告側が私で被告側はハンセン病研究センターの石井生体防御部長でした。詳細には触れませんが、この公判について、3つのことが強く印象に残っています。
 1つは、小関氏が医師として常識では考えられない治療理念を持っていることです。彼は無邪気に「医師のつとめは患者の症状を治すことだ」と考えていたのです。医療では、原因が分からないときなどにとりあえず症状を緩和する治療(対症療法)をすることはありますが、これはあくまでも一時しのぎで、本来の医療は原因療法でなければなりません。ハンセン病のように、原因が分かっている病気に対症療法を長く続けることは許されません。素人でも分かることです。この医療過誤事件は、彼が根本的に誤った治療理念を持っていたために起きたのです。彼のような異常な医師がハンセン病療養所で存在し続け得たのは、日本型絶対隔離政策と無関係ではありません。
 2つ目は治療方針について裁判長が「分からない」を連発したことです。「(小関氏の治療方針について)そこが分からない」と裁判長から何度聞かれても、彼は私たちにも理解できない答を繰り返すだけでした。裁判は自分の主張を裁判官に分かってもらう場ですから、裁判長が納得しなければ敗訴は必至です。
 3つ目は傍聴席の異様な光景です。民事裁判の場合、正面の裁判官席に向かって左には原告支援者が座り、右には被告側関係者が座ります。この日も傍聴席左側にはたくさんの原告支援者が座り、右側の席には園長はじめ少数の全生園関係者が座りました。私が驚いたのは、全生園自治会の役員たちが、被告国側を支援する席に座っていたことです。力の弱い入園者が、全生園の医療向上を願ってひとりで医療過誤を訴えている裁判において、入園者自治会の幹部が国側を支援する姿は、異様としか言いようのない光景でした。まして、原告と同じような被害者が長年にわたって全生園で出ていることは、ハンセン病に関わる医師にはよく知られていましたから、現場にいる全生園自治会の役員たちが知らないはずはありません。それなのになぜ?と言葉を失いました。
 公判で特に面白かったのは「対質」でした。対質というのは、双方の証人を証言台に並べて座らせ、裁判長が両者に同じ質問をする尋問方式です。証人同士が直接やり合うこともできます。結果は歴然でした。原告側専門家証人の理路整然とした証言が被告側証人を圧倒し、裁判官の心証は、大きく原告側に傾きました。
 私は証言の最後で石井証人に「あなたは81年の状態の原告を治せますか」と聞きました。彼は「それはわかりません」と答えましたので、「私なら100%治せます」と言いました。この証言は後に、医療者のおごりと被告側から厳しく攻撃されましたが、主治医が並里先生と交替して普通の治療をしたら治ったのですから、山下さんは特別に治療が難しい症例ではなかったのです。啓発活動では「ハンセン病は治ります」と言っている専門医が、自分の治療に自信が持てないようでは困ります。
 原告勝訴の見通しが明らかになったのを見届けた私は、2004年10月、2年間の予定で再度インドネシアに渡りました。

 2005年1月31日、東京地裁は原告完全勝訴の判決を言い渡しました。ところが国は不当にも東京高裁に控訴したのです。被告は控訴人になり、原告は被控訴人になりました。
 控訴審で国側は、新たに2人の専門家の意見書を出してきました。長尾大島青松園長と尾崎愛生園皮膚科医長です。2人とも私とは旧知の仲ですし、ハンセン病医療で共に協力しており、私もそれなりに敬意を払っている人なので、できれば法廷という公開の場で対決したくありませんでした。そこでとりあえず反論書を書きました。私はこの2人の意見書の致命的な欠陥を見逃しませんでした。2人とも小関医師を中心とする全生園の医療に過誤があったかどうかについて、自分の意見をひと言も述べていなかったのです。私は医学的な誤りを一つひとつ指摘すると共に、山下さんの受けた処置に過誤があったかどうかという裁判の最大の争点についてまず見解を明らかにするように求めました。結局反論書に対する再反論はなく法廷での対決もありませんでした。さすがに、小関医師らのやったことを肯定することはできなかったのです。そんなことをすれば、永年にわたるハンセン病専門医としてのキャリアに致命的な傷がつくのは明らかだったからです。裁判所は和解案を示し1年足らずの審理で今回の決着に至りました。

 和解といっても、国は損害賠償を認めたのですから原告勝訴ですし、山下さんが切望していた全生園の医療の是正にも道が開かれたのですから、和解案を受けいれた弁護団や山下さんの決定は正しかったと思います。ただそれが分っていても、裁判所が示した和解案については割り切れない気持ちが残ります。
 和解調印での約束にそって、2月1日全生園では次のような園長の「所感」がテープで流されました。

(1)全生園におけるインフォームドコンセント、セカンドオピニオン、カルテ等の診療・医療情報の開示などの患者本位の医療を今後も尊重してゆく。
(2)ハンセン病医療の質の維持向上、および医療安全管理を図るための相談体制の確保に引き続き努力する。
(3)財団法人日本医療機能評価機構に受審の申し込みをする。(平成18年度中に審査を受ける)

 私はこの所感を見た瞬間、寒々とした想いが心を吹き抜け身震いがしました。裁判での和解条項であることを考慮しても、医療に従事する者としては「これが患者に3000万円もの損害を与える医療過誤を犯した施設の長の言葉だろうか」という想いを禁じ得なかったのです。
 所感(1)では、「患者本位の医療を今後も尊重してゆく」と言っています。これでは「これまでも良くやってきたがこれからも努力する」と言っているのと同じで、あの悲惨な結果を生んだ医療過誤から学ぶ姿勢が感じ取れません。
 また、(財)日本医療機能評価機構の審査についても注意が必要です。この一般にはまだ耳慣れない機構は、医療の質を向上するために申し込みのあった医療機関を第三者の立場から審査し、必要なアドバイスをすると共に、改善の成果が上がった施設には「認定証」を発行しています。審査を受けるためには、100万円単位の費用がかかります。医療事故があったときなどに行政が行う医療監査とは性格が違うものなのです。
 第三者による評価の必要性について“機構”は、「もとより、質の高い医療を効率的に提供するためには、 医療機関の自らの努力が最も重要であり、、、、、、、、、、、、、、、、、、・・・自己評価が実施されているところですが、こうした努力をさらに効果的なものとするためには、第三者による評価を導入する必要があります」と述べています(傍点引用者)。そして、“機構”が行う評価の性格として「関連するそれぞれの専門領域における学術的な判断が基礎となるべき」とも述べています。
 全生園におけるハンセン病医療を正しく評価するためには、ハンセン病の専門的知識と経験をつんだエキスパートが評価に加わっている必要がありますが、専門家の少ない日本では、適任者を選ぶのは容易ではありません。間違っても、今回国側の証人になったような人が選ばれないようにしなければなりません。

 思い返してみると、私たちはまだ、園が今回の過誤を公式に認めた言葉を聞いていないのではないでしょうか。司法の判断だからやむを得ずというのではなく、医療者として過誤を心から認めて詫びることが、今後の全生園における医療改革の出発点です。とすれば、私たちは今後、過誤が起きた土壌を真摯に分析してそれを取り除く努力と進捗状況に関する情報公開を園に求めて行かなければなりません。本当の闘いはこれからなのです。
 最後に触れておきたいのは、自治会がとるべき行動です。
全生園では永年にわたり誤ったハンセン病医療が続けられ、たくさんの犠牲者が出ていたにもかかわらず、自治会はそれを止められませんでした。それだけではなく、今回の裁判では、当初被告国側に立つという大きな過ちを犯しました。全生園医療の真の改革のためには、自治会にも真摯な反省の上に立って努力して頂かなくてはなりません。
 私たち市民学会は、入園者の命を守る医療改革が、管理者と自治会が一体となって進むように見守り続けたいと思います。ハンセン病患者が歴史上初めて提訴した医療過誤裁判に4年近く関わってきた専門医として、そのような思いを強く抱く今日この頃です。
(2006年2月11日)
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