ハンセン病市民学会の皆様、大変ご無沙汰しています。お元気でご活躍のことと拝察いたします。前便は8月25日でしたから3か月以上間が空いてしまいました。すみません。
しばらく便りを送れなかった理由はちょっと複雑です。インドネシアについていろいろ書きたいこともあったのですが、この間に起きた大きな出来事は何と言ってもソロクトと台湾の原告に対する判決です。私も一時帰国して10月25日には東京地裁の法廷であの判決を聞いていたのですが、気持ちは皆様と同じように大変複雑でした。市民学会の皆様も各地で活発な活動を展開されましたし、私も含めて検証会議の元委員の有志も12月12日に見解を表明することになっています。私も私なりの意見を持っているのですが、それをインドネシア便りで書いても屋上屋を重ねることになりそうですし、だからと言って皆様が一番関心を持っておられるこの問題について触れない便りでは読んで頂けないのではないかと考えてしまいました。あれこれとまどっているうちに月日がたってしまったというのが言い訳です。
この間にインドネシアでもいろいろなことがありました。10月はじめにはガソリン価格が30%も値上げになりそれに連れて物価が上昇して庶民の生活を直撃しました。またバリ島における2回目の爆弾テロがありましたし、日本ではあまり知られてないのですが、私が住むスラバヤの南にあるバトゥという町でテログループのリーダーのマレーシア人が警官隊に射殺されました。遺体はマレーシアに送り返され、母親の隣に丁重に葬られたと写真入りで報道されました。彼の薫陶を受けた人はまだこの地で活動しており、東部ジャワ州は爆弾製造所になっているのです。バトゥは高原の保養地で私たちも時々出かけるところですので、テロが少しずつ身近に迫っているという実感を強くしています。
ところで12月2日にハンセン病について面白い会議がありましたので今回はそのことをお話ししようと思います。
この日、日本財団会長の笹川陽平さんがスラバヤに来られました。ご存じの方もあると思いますが、この方は世界のハンセン病制圧に非常な情熱を持っており、各国の首脳と直に話ができるハンセン病の世界では稀有な方です。その影響力は絶大と言ってよいでしょう。また、患者の人権についても強く主張しており、熊本判決についても考察は深くありませんが良き理解者です。普段はなかなか会えない人ですから、この機会に私たちの仕事について説明したいとホテルに会いに行きました。私にとっては初対面でしたが、流行地で活動する日本人専門家として親しく話ができて所期の目的は達成することができました。
その笹川陽平さんを迎えて、世界的流行地である東部ジャワ州でハンセン病の会議が開かれたというわけです。ジャカルタの中央政府やオランダのハンセン病協会の方、WHO南東アジア地域事務所の人なども同行し、地元からは州政府衛生局長や各県の関係者が出席する100人くらいの会議になりました。州知事はなぜか来ませんでした。
笹川陽平さんの挨拶は内容のある立派なものでした。ハンセン病の制圧には啓発活動が重要で、そのためにはハンセン病は治る病気であること、治療薬が無料であること、患者を差別してはならないことを啓発する必要があると強調されました。これまで多剤併用療法で治癒した人は2000万人くらいおり、それぞれの人に5人の家族があるとすると、約1億人の人がスティグマの被害を受けており、人権の観点から見ると重大な問題だとも指摘されました。この数字はかなり誇張があると思うのですが、ハンセン病に対する差別や偏見の今日的意味を強調したのは良かったと思います。もっとも、回復者の9割は家族と共に普通に生活しており、ハンセン病故に生活が破壊される人は少数に過ぎないと、インドネシアハンセン病協会の人が私にささやきました。
続いて立った東部ジャワ州の衛生局長は、東部ジャワ州の38の県のうち、22の県はハンセン病の制圧(人口1万につき1人以下)目標を達成しており、残りの16県の有病率は1.1から8.2であると報告しました。そして、障害を残して治癒する回復者のためにさらに5か所のリハビリテーションセンターが必要と強調しました。この点についてこのあと立ったWHOの専門家Dr.ロボが、「リハビリセンターをつくることにお金を使うのではなく、リハビリを必要としないハンセン病対策のためにお金を使うべきだ」と批判しました。一理あると思うのですが本当にそれで良いのかという疑問も残りました。
衛生局長がもうひとつ面白いデータを出しました。それは新患に関する統計です。それによると、2002年に発見された新患は4614人、2003年には4605 人、2004年には5628人、今年2005年は9月までの新患が5025人だったそうです。今年の新患数は9 か月間のデータで既に5000人を越えているのですから、10月から12月の3か月間に出る新患を加えると推定6700人になります。東部ジャワの流行はまだおさまっておらず新患は増え続けているのです。これをどうするかがこの州の最大の課題です。
このような報告のあとに演壇に立ったインド出身のWHO南東アジア地域事務所の専門家ロボ博士がショッキングな講演をしました。彼は最近のインドとインドネシアのハンセン病を比較し、インドなどでは新患が急速に減っているのにインドネシアでは減らないのはなぜか、と問題を投げかけたのです。私自身も答えが見つからず考えあぐねていましたから、どんな考えを出すのかと固唾を呑む思いで見守りました。その答えは意外なものでした。インドネシアは「何か間違ったことをしているから」ではないか、というのです。間違いの可能性として彼が上げたのは、過剰診断と二重登録、そして不必要に長期の投薬などです。インドではそのようなことが事実あったと言って具体的な数字をあげました。過去10年間にインドでは323,838人が他の病気をハンセン病と誤診され、534 ,037人が二重登録され、174 ,537人が症状もないのにハンセン病と診断されたというのです。最近それらを整理して正常な状態にもどしたとのことです。インドにおける最近の患者の急速な統計上の減少は、このようにして起きたのです。これで私も得心することができました。
実はこの数字の一部を私は数年前に見たことがありました。インドからハンセン病をなくすためには早期診断早期治療が大切だと強調された時代があり、その時には多くのパラメディカルワーカーが疑いのある皮疹をハンセン病と報告しました。後に専門家が確認すると、誤診例が非常にたくさんあったといいます。Dr.ロボは、ハンセン病でない人をハンセン病と診断するのは「犯罪だ」としきりに強調しました。このような風潮の中では、ハンセン病対策の最前線に立つパラメディカルワーカーたちは、ハンセン病と診断するのをためらうでしょう。そしてそのことは過少診断につながる危険を孕んでいます。ハンセン病でないと誤診された患者は服薬の機会を奪われ重症になってから発見されることになります。そのことは「犯罪」でないのでしょうか。私はむしろそちらの方がより重大な犯罪だと思うのですが……。
それはともかく、現在減少傾向を見せているインドのハンセン病はこれからどうなって行くのでしょうか。これからもこの減少傾向が続きインドも近い将来ハンセン病の制圧に成功すると楽観的な人も少なくないようです。やっとこれまでの努力が報いられる時期が来たというのです。しかし、この減少が本当の減少ではなく、もし人為的なものであれば、いずれどこかの時点で頭打ちになり減少傾向は見られなくなるでしょう。私は後者の可能性が高いと考えています。それには理由があります。
1980 年代にWHO方式による多剤併用療法が確立し、WHOは患者の定義を明確にしました。抗ハンセン病薬の服用が必要な人だけを患者と定義し、多剤併用療法の期間を多菌型の場合でも2年間(現在では1年間)としたのです。この変更が普及するにつれて世界の登録患者数は次第に減少して行きました。しばしば引用されるデータですが、80年代には世界122か国に1400万人の患者がいたが、多剤併用療法の普及で現在では6 ヵ国に40 万人くらいになった、これは現在のハンセン病対策の勝利であり、ハンセン病のない世界が近い将来実現するというのです。
私はこれは数字のマジックだと考えています。もともとこの1400万人という数字が相当水ぶくれの数字であり、現在の基準を適用すれば患者の実数はもっと少なかったと考えられるからです。患者数が正確でない以上122か国が流行国であったという数字も怪しくなります。そしてこれらの「患者」が整理された90 年代も終わりになりますと、減少傾向は鈍化しました。
最近のインドの減少を見ていて、私は楽観論が全盛だった90年代を思い出しました。「歴史は繰り返す」という言葉が脳裏をかすめます。
この11月、私は
『医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと』
という本を(株)シービーアールから出版しました。この中で強調したことのひとつは、ハンセン病対策における科学的思考の大切さです。分子疫学によるらい菌の感染源や感染様式の精密な解析はまだ始まったばかりであり、ハンセン病の将来を楽観できる科学的根拠はまだないのです。私たちは自分たちの知識や技術がハンセン病の制圧のためにはまだ不十分であることを自覚するところから出発し、先入観や固定観念に囚われないようにしなければなりません。そのことの重要性を再度思い出させてくれたのが、今度の会議でした。
(2005年12月5日)