和泉眞藏 インドネシア便り

13 −新年にあたり2008年を振り返るー 
 皆様、明けましておめでとうございます。インドネシア語では”Selamat Tahun Baru”(スラマト・タホゥン・バルー)と言います。

 光陰矢のごとし。2008年は瞬く間に過ぎて、新しい年2009年が明けました。皆様にはいかがお過ごしでしょうか。NHKの国際放送で雪の便りを聞いていると、日本はまた冬が巡って来たなと実感します。今年はどんな冬になるのでしょうか。市場原理主義を信奉するブッシュのアメリカに端を発した世界の金融経済危機で苦しむ庶民にとって、今年の冬はとりわけ厳しい季節になることでしょう。
 ひるがえってここインドネシアでは、相変わらず昼は32度、夜は25度という暑い毎日が続いています。今は雨季ですが、比較的晴れることが多い朝は真夏の厳しい直射日光が眩しく、午後になると激しくスコールが降る毎日です。今年は雨が多く、街はしばしば洪水に見舞われます。大学のキャンパスは湿地にあるため、雨で庭が冠水すると蟹が這い出してきてのんびり横歩きをしています。彼らにとっては快適な季節なのでしょう。
 今日は昨年1年間を振り返ってお便りを書いてみようとパソコンに向かいました。

 思い返してみると、昨年もいろいろなことがありましたが、研究生活は一つの方向に収斂してゆきました。私のインドネシアでの研究も7年目に入りましたが、今年中には後継者にバトンタッチする予定で、それまでに私の持っているすべてを伝授するから、いつまでも私に頼るのではなく、後悔のないように取るものはすべて取るように現地スタッフに伝えました。インドネシア人の誇りは“ムルデカ”(独立)ですから、研究室のスタッフにも独立独歩の姿勢がほしいと思います。

 私が40年にわたるハンセン病研究の最後に選んだのは、「流行地の生活環境中でらい菌が増殖して感染源になる直接的な証拠」を見つけることでした。私たちは過去20年間の研究で、らい菌の主要な感染源は患者ではなく生活環境中にあることを示す多くの証拠を見つけていましたから、状況証拠としては十分なのですが、生活環境中でらい菌はどのようにして増殖して人間に感染するのかを示す直接的な証拠はまだ見つかっていません。そこで、残されたこの最後の難問に挑戦することにしたのです。
 これは一般論ですが、広い生活環境中から1ミリメートルの1000分の1しかない病原菌を見つけるのは至難のわざです。当初私たちは「あるのだったら見つかるはずだ」と無邪気に考えていましたが、思索を進めるうちに「これはかなり無謀な企てかもしれない」と思うようになりました。
 ともあれ、まったく手がかりなしでは研究が始まりませんから、これまでの研究成果を総括して次のように推理しました。
 もし生活用水が感染源だとすると、らい菌を最も見つけやすいのは、患者さんの家で使っている水源のはずだ。先ずそこから手をつけようと考えました。そこでスラバヤから車で1時間くらい北にあるラモンガン県の流行地に行き、過去10年間に患者が出た家が使っている生活用水を集め、らい菌を探すとともに、その中にいる原生生物を培養することにしました。原生生物に着目したのは、らい菌が増殖するために必要な寄生宿主が原生生物の一つである自由生活性アメーバの可能性が高いからです。事実、らい菌の仲間である抗酸菌の多くは自然界でアメーバの体内に寄生しますから、らい菌がアメーバの体内に寄生してもよさそうです。この推論は合理的なのですが、らい菌についてはこれまでほとんどデータがありません。
 私たちは細菌の培養についてはかなりの経験があったのですが、アメーバの培養については全く経験がありませんでした。そこで基本的な技術を専門家に教えていただき、必用最小限の設備を整えて手探りで実験を始めました。途中必要な設備を買い足して実験がやっと軌道に乗った時には半年が過ぎていました。
 生活用水から混在しているカビや雑菌を取り除いてアメーバだけを取り出すのは、かなり大変です。特にカビとの闘いに神経をすり減らす日々が続きましたが、努力の甲斐あって最近ではずいぶん上手になり、アメーバを必要なだけ入手できるようになりました。
 そこで次の実験として、アメーバをらい菌と一緒に培養して両者がどのように協力し合うのかを調べることにしました。その結果、らい菌と相性の良いアメーバがあることがわかりましたし、らい菌をアメーバと一緒に30度で培養すると、6か月たってもらい菌は生き続けることが分かったのです。この研究は新しい年でも続ける予定です。
 それにしても、このような新しい研究を始めることができたのは、国賠訴訟の原告有志の方々の財政的なご支援があったからです。どんなに感謝しても感謝しきれません。本当にありがとうございました。
 
 去年の仕事でもうひとつご紹介しておきたいのは、インドネシアのハンセン病医療を大きく進歩させるために必要な臨床検査法を開発したことです。ハンセン病による後遺症を防ぐためには、早期発見早期治療が不可欠ですが、これまでその目的に合う良い検査法がありませんでした。そこで、新しい技術と既存の技術をうまく組み合わせることで、ほぼ満足できる方法に創りました。
 こうした新しい技術を実用化するためには、いくつかの条件を満たさなければなりません。それは患者の多くが発生する末端の保健所などで使いやすく、且つ安価であることです。と言っても検査技術は非常に高度ですから、どこでも実施できるわけではありません。その解決法は、現場では検体の採取までを行い、検査自体は全国数か所の専門検査施設で行うシステムを構築することです。そのためには検体を安全かつ簡便に輸送する方法の開発も必要でした。私たちが開発した方法は、これらの条件をすべて満たすものだったのです。このシステムの有用性を証明するために、4月からスラバヤの近くにモデル地域を構築する準備を現在進めています。この方法がインドネシア国内で広く実用化されれば、大きな福音になるでしょう。

 それにしても2008年は次々発生するトラブルに悩ませられ続けた一年でした。もっとも私を悩ましたのは実験機器の故障でした。開設から6年たち、当初持ち込んだ実験機器に耐用年数がきて、次々と故障したのです。
途上国では、業者を呼んで簡単に修理できませんし、新しく購入するにしても数か月かかるのが普通です。待っていられない私たちは、そのたびにいろいろな方法を講じて解決しました。日本に持って帰って直さなければならないことも少なくなかったのですが、その場合は無税通関に神経をすり減らしました。壊れるものは一通り壊れましたから、今年は落ち着きを取り戻してほしいと思っています。
 途上国で国際協力をすることのむずかしさを思い知らされた1年間でした。

 ひとつお知らせがあります。
 来る5月14−15日、島根県の出雲市で第82回日本ハンセン病学会があるのですが、そこで私たちが20年間続けてきたインドネシアでの疫学研究について「特別講演」をすることになりました。インドネシアと日本の多くの方々のお力添えでここまで続けてこられた研究の成果が日本ハンセン病学会で認められた証です。率直に喜ぶとともに、日本のハンセン病医学の将来の発展につながる話ができればと願っています。

 今日はこのくらいにしてまた次回書きます。2009年が皆様にとって良い年でありますように。

(2009年1月6日)
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