和泉眞藏 インドネシア便り

11 恐ろしい予感と新しい展望
 ハンセン病市民学会の皆様 お元気でご活躍のことお慶び申し上げます。前回のインドネシア便りをお送りしてから早くも3か月がたってしまいました。インドネシアは今でも真夏ですが、日本は立冬を迎えました。
 ところで、私の独立行政法人国際協力機構(JICA)のシニア海外ボランティア(SV)の任期が終わり10月4日に帰国しました。JICAの規則でSVとして再任はありませんので、これでこの仕事は一区切りです。これまで10回にわたりインドネシア便りをお読み頂きましたこと、本当にありがとうございました。
 
 私がハンセン病の流行地であるインドネシアに長期滞在して研究をするために、ジャワ島のスラバヤ市に赴任したのは4年5か月前の2002年6月でした。過ぎてみると夢のようですが、たくさんの仕事をし、数多くの研究成果をあげることができたと満足し、今はとても幸せな気分です。これもひとえに、活動を支えてくださった国賠訴訟の原告の方々や多くの回復者の方々の善意の賜と深く感謝しています。本当にありがとうございました。少し長くなりますが、今回は4年間のインドネシアでの活動を振り返ってみたいと思います。

 仕事は先ず、アイルランガ大学熱帯病センター(TDC)の中に、ハンセン病の研究室を開設することから始まりました。私の赴任に際し、国賠訴訟の原告の方や回復者の方々が、1000万円を越える研究用機材を寄贈してくださいましたので、研究室の立ち上げは2週間という短時日のうちに完了し、すぐに実験が始まりました。
 先ず手をつけたのが、らい菌感染とハンセン病の血清診断の実験とインドネシア側への技術移転でした。私はこの技術の開発者ですから研究はすぐに軌道に乗りました。この仕事はその後ずっと私たちの研究室の特技として日常的な業務に使われています。
 それについで、らい菌の分子生物学的実験の1つとして、らい菌に特異なDNA断片の増幅技術であるPCR法に取り組みました。この分野の実験には私自身あまり経験がなかったために、実験条件が安定するまでにかなり苦労しました。それでも技術的な改良を繰り返して、次第に上手になり、現在ではらい菌が数個あれば検出できるまでになりました。この技術を応用して、らい菌感染とハンセン病の流行に関する様々な課題の解明に取り組みました。
 次に手をつけたのが、らい菌DNAの分子構造(塩基配列)の解析でした。この技術はPCR法よりはるかに難しく、失敗の繰り返しが1年近く続いたでしょうか。それでも我慢して技術に磨きをかけて、やっと満足できる結果が安定して出るようになりました。研究というのは新しいことを見つけるのですから失敗はつきものなのですが、それでも連日のように続く失敗のストレスはかなりのものです。それに耐える強さと共に、ストレスを解消するすべを身に付けていないと実験研究者はつとまりません。失敗が多い分だけ、成功したときの喜びは大きいのですが、、、。
 ともあれ、らい菌DNAの塩基配列が解析できるようになったことで、「ハンセン病の分子疫学」という新しい研究分野に挑戦できるようになりました。
 分子疫学というのは、らい菌の「遺伝的多型」という性質を使って、菌の感染源や感染経路などを、これまでとは比較にならない精度で解析する疫学の新しい分野です。研究材料が豊富なインドネシアで分子疫学の実験ができるようになったことで、研究は飛躍的に発展しました。この分野の研究で私たちは、国立感染症研究所ハンセン病研究センター(旧国立多摩研究所)の松岡正典先生たちと組んで世界でもトップクラスの研究を続けています。
 それに続いて挑戦したのが、RNAの研究です。RNAというのは、らい菌がDNAの情報にもとづいてタンパク質を合成するときに働く生体因子で、菌の生死に直接関わる非常に重要な物質です。RNAの実験ができるようになると、ハンセン病の研究分野は一気に広がるので、どうしてもやってみたい実験でした。ただ、この物質は非常に不安定ですぐに分解されてしまいますから、取り扱いが特別難しいのです。例えば、私たちの周りには、RNAを分解する酵素が至る所にありますから、実験材料がこの酵素に触れないようにしなければなりません。通常の酵素は熱に弱いので、高圧滅菌をすれば失活するのですが、RNA分解酵素は活性を失わないのです。従って、特別な方法を使って実験用の水からこの酵素を取り除かなければなりませんし、実験室の空気中に浮遊している埃も大敵です。
 そこで私たちは、最新の試薬や技術を取り入れるなど、慎重に準備を進めて、今年のはじめになりやっと実験に手をつけられるようになりました。「案ずるより産むが易し」と言いますが、やってみると思ったよりうまく行くことが分かりました。もちろんそれには、インドネシア人スタッフが、DNAを使った分子生物学的実験技術をマスターしていたことが大いに役立ったのですが。
 RNAが扱えるようになったので、RT-PCR法に取り組みました。RT-PCR法というのは、逆転写酵素(RT)という特殊な酵素を使ってRNAからDNAを合成してPCR法につなぐ技術です。この技術はそれほど難しくありませんでしたが、得られた結果は興味深いものばかりでした。例えば、流行地の生活環境中に存在するらい菌は生きていて感染源になりうること、重症の患者の血液中には生きたらい菌が流れていることなどです。豊富な研究材料が手に入る有利さをフルに活用した結果、毎日何らかの新発見が続くようになり、1日の実験結果が出そろう夕方には、いつも喜びと明日の成果を期待する笑い声が響くようになりました。

 ところで、このような実験室での技術が進歩しただけではハンセン病の予防につながる疫学的研究にはまだ十分ではありません。疫学的研究、特に将来の実用につながる予防方法の開発研究をするためには、流行地の現場に出てフィールド調査をしなければならないからです。そこで、インドネシアでも最も流行度が高い地域のひとつである、東部ジャワ州のマドゥラ島に隣接するポテラン島という小さな島にフィールドを開き、日本からの研究者も加わって住民を検診し、検査材料を採り、生活環境中のらい菌の分布を調べるための標本を集めました。さらに、近い将来予定されている発病予防実験に必要と思われる新技術の実用性を確かめる実験も加えましたので、大変な仕事になりましたが、私たちの持っている技術が、フィールドで使えることが明らかになったのは大きな収穫でした。ここまで来てやっと、私たちのグループの戦略目標である「実用的発病予防手段の開発」に大きく近づいたと実感することができたのです。
 4年4か月かけてできたのはここまででした。よくここまでやったと言いたい気持ちもありますし、ここまでしかできなかったのかとの想いもあります。ともあれ、今後さらに研究を続けなければならないことだけは確かです。

 それでは今後どのような方向に研究を発展させるべきなのでしょうか。それを考える基盤はやはりハンセン病の世界的現状の中に求めなければならないでしょう。
 世界保健機関(WHO)によりますと、2005年中に世界で発見された新患は約30万人でした。2002年の新患数が62万人でしたからほぼ半分になったことになります。この急速な新患の減少が今後も続けば、人類がハンセン病の苦しみから解放される日も遠くないように思われます。本当にそうなら嬉しいのですが、詳しく検討するとこの統計数字には大きな落とし穴があることが分かります。それは、この減少のほとんどがインド一国で起きており、インドを除く他の流行国の新患は減少していないかむしろ増加しているのです。
 インドでは、2002年から毎年10万人のペースで新患の減少が続いていますが、ハンセン病のような超慢性の病気がこのような速さで減少したことは歴史上ありませんから、疫学的には極めて不自然な現象と言わなければなりません。事実、インドの当局者も、21世紀入っておきたこの急速な減少が、ハンセン病管理体制の見直しによるものであると認めています。やはりこの統計数字上の減少は人為的なものだったのです。しかし、そう考えてもこのような急速な減少が3年間も続くことは説明できません。なぜなら、制度の見直しによって統計上に一時的な急減が起きたとしても、新しい方法が定着すると、減少は自然の状態にもどり、ゆっくりとしたペースに帰るはずだからです。なぜそうならないのでしょうか。
 これは私の推測ですが、現在のインドのハンセン病対策の現場では、疑わしい症状を持った早期の患者を、ハンセン病と診断しづらい圧力がかかっているのではないかと思います。インドを管轄するWHOの南東アジア地域事務所の責任者は、「ハンセン病でない人をハンセン病と誤診するのは犯罪だ」と私たちに語ったことがあります。もしこのような圧力が今後も続けば、近い将来予想される結果は恐ろしいものです。多くの患者から早期診断早期治療のチャンスが奪われ、身体障害を伴う重症になってから治療される患者が増える可能性があるからです。いかにして後遺症を残さないで治療するかがハンセン病医療の要諦ですから、これは最悪の選択と言わなければなりません。インドの関係者には、1日も早くこのことに気づいてほしいと願わずにはいられません。

 一方、インドを除く流行諸国では新患発生は変わらないかむしろ増加しています。その典型がインドネシアです。私が最初に赴任した2002年の新患は12638人でしたが、2005年の新患は19695人で、55.8%も増加したのです。この増加の原因は分かりませんが、現在進められている対策では流行に歯止めがかけられないことは明らかで、何らかの新しいアイディアに基づく対策が必要なことは疑うべくもありません。そのような現状を前に、私は専門家としてどう行動すべきなのか、SVとしての任期切れが迫る中で、考え続けていました。
 念ずれば通ずという言葉がありますが、思わぬところから手を差し伸べてくれたのは神戸大学でした。神戸大学が現在進めているアイルランガ大学との感染症の共同研究計画の中にハンセン病研究を加えたいので、その準備のためにインドネシアに行ってほしいと要望されたのです。この計画はまだ予備調査の段階で、最終的に決まったわけではないのですが、流行地における重要な感染症の1つとしてハンセン病を他の感染症と一緒に研究対象疾患に加えてくださったことは、正に画期的な英断でした。私は一も二もなくこの要請に応えることにしました。
 こうして、日本のハンセン病回復者の方々が支援してくださっているインドネシアでのハンセン病研究には、引き続いて発展する明るい灯が見えてきました。この灯がさらに大きく輝くように、明日11月19日(日)、神戸大学の研究員として再びインドネシアに旅立ちます。次回の「インドネシア便り(12)」は、スラバヤで投函したいと思います。
 日本は寒さが日々厳しくなる季節です。くれぐれもご自愛くさいますように、皆様のご健勝を祈っています。
    (神戸大学医学部附属医学医療国際交流センター 和泉眞藏)
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