和泉眞藏 インドネシア便り

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 ハンセン病市民学会の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 日本はやっと梅雨が明けて真夏を迎えたようですね。今年も日本は酷暑に見まわれそうで大変でしょう。こちらは乾季に入り日中の陽射しはきついですが、朝夕は気持ちのよい毎日です。日本の酷暑を逃れて熱帯に避暑にいらっしゃいませんか。

 5月13日と14日の市民学会では皆様にお目にかかれて大変懐かしい思いをしました。非常に内容の豊かな学会で本当に良かったと思っています。会員数も大きく伸びましたし、各部会やそれぞれの地方でも地道で息の長い活動が続けられており、将来の日本にとって大切な市民参加の学会として盛り上がってきていることを喜んでいます。

 市民学会のあと、日本ハンセン病学会に出席して研究発表をしたり、啓発講演をしたりし、研究に必要な機材を調達して5月28日にスラバヤにもどりました。その前日、中部ジャワのジョグジャカルタ郊外で中規模の地震が起こりたくさんの家が倒壊し5000人を越す死者が出ました。私はJICAの国際緊急援助隊のOBですから、外科医として救援に駆けつけたかったのですが、前回のアチェに続いて今回も望みは叶いませんでした。
 その後もインドネシアでは災害が続いています。日本でも小さく報道されたようですが、私の住んでいるスラバヤの南にあるシドアルジョ県で、5月下旬にガスが混ざった泥流の噴出事故がありました。これは、ある掘削会社が天然ガスのボーリングをしていたところ地下400メートルから突然泥流が噴出したもので、現在でもまだ噴出が続き被害が拡大しつつあります。この一帯はスラバヤの工業地帯ですし、米作も行われていますが、多くの工場が操業停止に追い込まれ、田んぼが泥に埋まっています。またジャワ島の各地に繋がる交通の要衝ですから渋滞などで大きな経済的損害が出ています。泥流がいつ止められるのか、見通しは全く立っていません。
 これに引き続いて最近起きたのが西ジャワ州での地震と津波、そして南スラベシ州における土石流災害です。200人近い死者がでました。南スラベシはハンセン病の濃厚流行地で、私がインドネシアでのハンセン病研究を始めた土地ですから他人事と思えず心を痛めています。

 さて、前回の便り以降のこちらの仕事の発展についてお話ししましょう。予定では、インドネシアにもどったらすぐに「インドネシア便り」を書くつもりだったのですが、研究があまりにも面白くなり、つい夢中になっていました。ご容赦ください。
 実は、市民学会出席などで一時帰国する直前に、新しい分野の実験としてらい菌のRNAを解析する実験を始めていました。RNAというのは生命の基本である核酸の一種で、生命の設計図であるDNAの情報に基づいてらい菌がタンパク質を合成する時に働く物質で、非常に分解されやすいために実験が難しい物質です。しかも私たちのまわりにはRNAを分解する酵素があらゆるところにあるために、実験には細心の注意と特別な技術が必要です。うかつに手が出せないと考え長時間をかけて慎重に準備してきたのですが、やっと実施の目途がたったので実験に踏み切ったのです。実験は予想以上にうまく行き、様々な興味あるデータが出始めています。
 RNAの研究ができるようになると、非常にたくさんの重要な課題が解明できるようになります。例えば、薬の効果を客観的に判定できますし、どのくらいの期間服薬すればよいのかなどを科学的に決めることができます。まだ研究は始まったばかりでたくさんのデータは得られていないのですが、それでも進行したハンセン病患者の血液中には、たくさんの生きている菌が流れていることなど重要な事実が明らかになりました。RNAの研究は、ハンセン病の医学的な解明だけでなく、患者さんに直接役立つ研究課題を次々解明できますので、スタッフ一同夢中になって実験に取り組んでいます。

 話はかわりますが、最近世界第2位の流行国であるブラジルの研究者が、非常に面白い論文を発表しましたのでご紹介したいと思います。論文のタイトルは『社会経済状態、環境、生活習慣によるハンセン病の危険因子についてー東北ブラジルにおける症例・対照研究―』で、国際疫学雑誌の4月号に掲載されました。
 ハンセン病の流行に社会経済状態が重要な役割を果たしていることは、現在のハンセン病医学では定説になっています。皆様もハンセン病の流行を決める社会的条件については関心があり、私もよく「ハンセン病を流行させる危険因子は何ですか、栄養ですか、衛生状態ですか」などと質問されますが、これまではいつも「分かりません」と答えてきました。この論文はそのような皆様方の疑問にも答えるものです。少し詳しく論文の内容を見てみましょう。
 まず「症例・対照研究」(ケース・コントロール研究)について説明します。これは医学研究でよく使われる方法論です。研究者はまずある地域の人間集団を決め、その中から患者(症例)と健康者(対照)を選び出し、発病に関係がありそうな因子についての情報を両グループから集めます。これを比較分析して患者群に多い因子が見つかると、それが発病に関係していると考えるのです。今回の研究では、ハンセン病の流行地である東北ブラジルのある地方で、患者226人と健康者857人が調査されました。データ解析に使われた方法は階層別多変量解析という数学的方法です。その結果大変興味深いことが明らかになりました。
 まず、性別、年齢、皮膚の色、結婚などの基本的なデータについては患者と健康者の間に差はありませんでした。
 次に、社会経済状態ですが、患者には学校教育の低い者が多く、これまでに飢餓を経験したことがある人が多いことが分かりましたが、安全な飲み水の入手しやすさや下水処理とは関係がありませんでした。また、家の土間がセメントで固められているかどうかは、わずかに発病危険因子になることがわかりました。
 一方環境についてですが、居住空間の広さや動物飼育の有無、農林業に従事した経験などは患者と健康者で差がないことが分かりました。
 最後に生活習慣についてみると、家族がベッドやハンモックを共用するかどうかは発病に関係しませんでしたが、ベッドのシーツや枕カバーなどを交換する頻度が患者群では低いことが明らかになりました。また、過去10年間に定期的に釣りをしている人や、毎週池や運河、川などで水浴する人に患者が多いことが分かりました。狩猟の経験やアルマジロを食べるかどうかはハンセン病の危険因子ではありませんでした。アルマジロについて調べられたのは、アメリカ合衆国南部ではアルマジロから人間にらい菌が感染することが分かっているからですが、南米のアルマジロはらい菌の感染を受けていないので、差がないというこの調査結果は納得できるものです。

 以上の結果をまとめると、次のようなことが明らかになります。
 まず、貧困が発病危険因子になるという事実です。これはハンセン病医学の現在の定説と一致しています。さらに興味深いのは、生活用水との関係です。池や川などの水で水浴をしたり、川に出かけて魚を釣るなどの生活習慣が感染と発病につながるというのです。
 私たちは1997年から98年にかけてインドネシアの北マルク州でハンセン病の疫学調査をし、らい菌が検出される生活用水を水浴や洗濯に使っている住民の発病が、非常に高いことを発見しました。今回の結果はこの私たちの調査結果と一致しています。この2つの研究は、用いられた手法も国も違うのですが、結果は同じだったのです。私たち日本の研究者とインドネシアのハンセン病専門家が協力して進めているハンセン病の疫学的研究は、この分野の研究としては最先端の仕事ですが、その正しさが少しずつ他の研究者によっても確認されてきています。
 7月に入って、私たちは東部ジャワ州のある濃厚流行地で疫学調査を行いました。現在多数のサンプルの分析を進めており、興味ある結果も出ています。そのことについては次の機会にお話ししたいと思います。
 酷暑のみぎり、皆様のご自愛を祈っています。           
(2006年8月1日)
    アイルランガ大学熱帯病センターハンセン病研究室  和泉眞藏
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