これを社会復帰という  平野 昭(多磨全生園退所者)

 
 2004年10月26日、多磨全生園の面会人宿泊所前から、大勢の見送りの人と挨拶を交わし、別れを惜しみつつ、第二の人生に向けて踏み出しました。秋晴れの素晴らしい日でした。
 ほぼ50年愛用した思い出のガラクタを大型トラックに積み込むと、急ぎ足でお世話になった福祉課に挨拶を済ませ、一路、定住の地と選んだ静岡県沼津市に向かいました。

 「らい予防法」が1996 年に廃止されました。その2ヶ月後、よき指導者でもあった最愛の兄を失いました。兄は「らい予防法」という見えない鎖に繋がれたままでしたが、逆境にひるまず高い志を持ち、労務外出という隠れた社会復帰をしていました。それだけに「らい予防法」の廃止を誰よりも強く待ち望んでいた一人でした。

 「らい予防法」廃止によって、法律上は私たちの残された半生に大きな変化をもたらせてくれたことになった訳です。そして拘束しつづけた悪法が廃止されたのだから、待ち望んだ人間復帰の措置を、国及びそれに荷担した地方行政は、法廃止の責任を真摯に受け止め、あらゆる開放政策を打ち出す、つまり、隔離の解消は、国及び「無らい県運動」を徹底遂行した地方行政が、その代償として、責任ある社会復帰構想を基本に据えて打ち出すべきであり、他方で、国立ハンセン病療養所の貧弱な医療・看護・介護を充実・強化して、在園補償を確立することであるはずです。

 ところが、何の施策も打ち出しません。業を煮やした回復者は、ついに法の裁きを求める手段に訴えました。大勢の理解ある国民の皆さんに後押しされ、起ち上がったのです。裁判は疾風のような勢いで進みました。超高齢化集団の原告団には寸刻の猶予も許されない厳しい日月でした。そうした現実を眼前にした弁護団は驚異的ともいえる知と力を注ぎ、「石にかじりついても三年解決」をモットーに進められ、弁護団と支援者の総力をあげた闘いによって素晴らしい勝利判決が得られました。そして、多くの国民の熱意のこもる支援の力で、ついに国をして控訴を断念させ、完全勝利を得たのでした。すぐさま具体的な交渉が、統一交渉団を軸にスタートしました。

 謝罪・名誉回復部会、社会復帰部会、在園保障部会、真相究明部会等が弁護団、原告団、全国ハンセン病療養所入所者協議会(略称・全療協)で構成され「判決を真摯に受け止め、在園者については、たとえ一人になっても、国の医療機関で補償、また社会復帰を希望する人たちには、社会的水準による生活費、医療と住宅の提供」等の約束を確認事項として取り交わして現在に至っている、と理解するのが史実の核心ではないでしようか。

 在園中は特に謝罪・名誉回復部会・社会復帰部会に関与する中で、特に都道府県における住宅の斡旋、安心して通院出来る医療機関(拠点病院)を重点的に要請してきました。「無らい県運動」推進者の責任として都道府県には、社会復帰者が出た場合、「公営住宅即時提供」を申し入れ、それに答えた、熊本、大阪、沖縄等理解ある府県へ復帰する仲間が出ました。こうした動きの中で、療養所で終生在園を希望する同僚の中にも変化が生まれ、公営住宅が提供されるなら、また、ハンセン病の後遺症があっても安心して受診できる病院があれば、社会復帰してみたいという雰囲気になっていったのです。

 こうした動きを前提に、昨年9月社会復帰の準備に入りました。まず、住宅であろうと判断。ふる里を愛知と決めているため愛知県のハンセン担当者に住宅の相談をしました。早速、県営住宅申込案内書を戴き内容を見ました。それまでの運動の中でハンセン病回復者の社会復帰者には特別優先措置が採られて、即入居出来るものと判断していましたから、びっくり仰天というところでした。厚い壁が傲然とそびえていたのです。実態は、中古空き室の年2回抽選の資格を与えるというもので、あくまで抽選に参加し、当選の時点で保障人問題等一定の諸条件をクリアーして初めて入居が認められ、社会復帰することが出来るというのです。

 私たちの社会復帰の準備には、地方行政当局の無為無策が、社会復帰を妨げる狭き門≠ニなって、目の前に立ちはだかりました。現実は人並みに生きようとする者の夢を打ち砕く力として働いていたのです。 
遮る壁に二の足を踏む想いを抑えて、支援団体(社専協)の方のご協力を得ながら、やむなくすべて自力で切り開き、沼津市を「第二のふるさと」として選択しました。
 人間に返ると言うことは、この飼い殺し政策から解放され、困難を乗り越えて社会復帰をこころざし、社会で普通の生活を営む。出来なければ手助けを乞う。それが、生きるということであり、生きているということの実感ではないでしようか。いま療養所内で静かなブームとなりつつある「ふる里へ帰してください」という動きは、そういうことを意味するに違いありません。

 患者・元患者が、社会へ、暖かく迎え入れられる体制・態勢を、早急に整えてほしい。現状では、大阪、熊本、兵庫、千葉、高知、その他数県がハンセン病回復者の社会復帰に備えて、公営住宅を数カ所確保し、何時、社会復帰希望者が出ても、即座に対応できるシステムになっていると聞きます。残念ながら残る40県前後は、何の対策もされていないに等しいようであり、これでは「ふる里へ向けての社会復帰」は「空念仏」に終わるでしよう。やはり終生隔離は続けられることになるのではないでしようか。
 そのことを声高に指摘しておきたい。それが社会復帰に臨んだ私の偽りのない実感です。
(2005年1月20日)


 
 「家族の肖像」ホームページ http://www.geocities.jp/bontaroo109/
TOP