僕は、2001年5月11日までハンセン病問題を知らなかった

 

 若い人の参加を

 総会当日は案内係で講演を聞いていないので感想は言えないのですが、恵楓会館に入ってくる人たちを見ていて、若い人が思っていたほど多くないなって感じました。だから、翌日の新聞を読んで、「若者も多数参加」みたいな記事だったんでびっくりしました。まったく逆のことを思っていたので。
 僕の中では、すごく課題は残ったと思う。ハンセン病市民学会のこれからを考えたら、もっと若い人たちが積極的に参加していかないといけないんじゃないかなぁ。僕を含めた若いメンバーで、どうすれば関心を持つのかを考えていく必要があると思う。
 あと水俣病は、語り部が高齢化していくのでビデオに撮っているでしょう。それを参考に回復者の声を保存していく必要があるのではと個人的には思っています。これから市民学会は、そういうことも視野にいれて考えていく必要があるのではないか。そういう取り組みを学生主体でできるとすごく良いと思います。

 もう一つ思うのは、組織が大きくなればなるほど、個人の主体性や自発性というものが失われるのではないかっていうことです。
 僕なんかは、二つの「偶然」に恵まれています。一つはハンセン病講座をきっかけに、ハンセン病市民学会の事務局に参加できていること。そして、その事務局が熊本にあるということ。その二つのうち一つでも欠けていたら、僕はこんなふうに参加できていなかったと思います。
 実は僕は、あるボランティアグループにも入って活動しています。そこでその中心にいる人に「もっとこのボランティアに参加する人が増えて大きくなるといいですよね」って尋ねたら、「僕はそうは思わないなぁ。小さくてもいいから全国に同じような志をもった組織ができるほうがいいよ」って言われたんです。
 その通りって思いました。できれば今後、ハンセン病市民学会も中規模の形で全国的に広がりができていくといいなって思います。


「嗅覚」を研ぎ澄ませて

 僕は一人の人間として、今という時代を生きるものとして、このハンセン病問題に真正面からぶつかっていきたい。
 ヨハネパウロ2世が広島で「過去をふり返ることは将来に対する責任を担うこと」って言っています。僕が歴史を学ぶ理由はそこに収斂されると思います。
 90年の長きにわたる強制隔離っていっても、僕は1981年生まれだから、生まれる前の出来事に対しては僕に責任があるとは思わない。でも、今後、形は異なっても同じようなことが起こったときには、当然責任があるだろうと思うんです。それを防ぐためには「嗅覚」のようなものを研ぎ澄ませておかないといけない。

 実は、志村さんの話を聞いた後にお礼のメールを送ったら返事を頂いたんです。その中には「戦争の無い平和な中で学ぶことが出来る皆さんが羨ましくてならないのです。たとえ論文のためであってもいいですから、ハンセン病問題から人権や人間とは何かにまで興味を広げていただきたいと思います。」と書いてありました。その言葉の思いを日々受け止めながら、これからも僕はこの問題に関わっていきたいと思います。

                   
    (2005年8月  Yさん談)

【あとがき】
 このYさんの話は、まず事務局の何人かに読んでもらいました。誰もが「いろんなことを考えているんだね。びっくりした。」という感想でした。
 私たち事務局は初めて顔を合わせた時以来、あわただしい会議の中で、お互いがどこの誰でどんな思いをもっているのかを知る余裕がありませんでした。ひとりひとりを知らないままに5月総会を終え、ほっとする間もなくニュース編集作業に移り、先日、なんとか発送作業までを終えることができたのでした。
 私はYさんの思いをまとめながら、ニュース創刊号・武村淳さんの編集後記「壁の中の友人、壁の外の古き友人、そして新しい友が力を合わせてこそ」というくだりを思い浮かべていました。この作業は、私に武村さんの言葉を実感させてくれました。
 
 さて、私たち事務局に新鮮な驚きをもたらしたYさんの思いですが、思いがけず長いものになってしまいました。Yさんを知らない方にとっては、意味のないものかもしれません。しかし、2005年の今、こんなふうに考える若者がいたということを記録しておくことも、市民学会の仕事としてアリかなとHPに掲載することにしました。
 私たちの知らないところに、たくさんのYさんがいるのは間違いありません。いま、全国の回復者のみなさんにそのことを知ってほしいと思っています。
                    
                   
2005年9月 まとめ:華丸
                       
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