僕は、2001年5月11日までハンセン病問題を知らなかった

 

出合いは熊本学園大学の「ハンセン病講座」

 僕は学生の時、よく神田や高田馬場の古本街へ行きました。あの「知の雰囲気」というものがたまらなく好きで、すごく落ち着ける空間だったんです。
 そこでタイトルを見た瞬間、思わず買っちゃった本があるんです。丸谷才一の「たった一人の反乱」です。
 なぜ惹かれたのだろうかって時々考えることがあるんですが、自分というものが知らず知らず「一般」というものに、飲み込まれてしまうことの危機感やそれに対する対抗心みたいなものが、もしかしたらあったかもしれません。
 
 前ふりが長くなりましたけど(笑)、ハンセン病市民学会に入ったのは、2004年に熊本学園大の「ハンセン病講座」を受講したのがきっかけなんです。ちなみに授業では毎回、一番前に座りました。

 熊本学園大学の「ハンセン病講座」の講師の人たちは、僕からは、すべて「たったひとりの反乱」というより、「たった一人からの反乱」を起こした姿に見えたんです。話を聞いていてすごく刺激的でした。
 ハンセン病問題に関して、これまでの医師の責任を問う人、そして弁護士の責任・学者の責任・マスコミの責任・市民の責任を問う人、それに療養所に入っている人が、それぞれこの問題に対して「当事者」の立場から捉えている。各々の立場を覆い支配している「空気」を、むしろ翻して立ち上がって闘っている姿に見えたんです。

 7月に講座が終わってそのあとはなにもなかったんですけど、今年3月に、ある講演会でたまたま遠藤先生の隣の席に座ることがあって、その時「ハンセン病市民学会というのができるんだ」って聞いたんです。
 僕は新聞で読んでいたので「知ってます、知ってます」って答えて、「手伝ってみない」と言われ、すぐに「やりたいです」って答えたのがきっかけです。
 ほんと偶然なんですね。あの偶然に、そして先生にものすごく感謝してます。僕は学園大の学生でもないので、あの講演会に行かなかったら、遠藤先生にお会いすることもなかったわけだし、ハンセン病市民学会の事務局との縁もなかったはずです。
  
    (2005年8月  Yさん談)

【補足資料】

「現代ハンセン病から学ぶ人間の輝き〜21世紀に輝け、若者達!〜」プログラム

熊本学園大学 2004年度
第1回(4月14日)
■講座の開始に当たって:ハンセン病問題から人間の尊厳を考える現代的意義
遠藤 隆久(熊本学園大学商学部教授)

第2回(4月21日)
■医師の責任を考える:ハンセン病とはどんな病気であったのか
武村 淳(作家・医師 ハンセン病国賠訴訟を支援する会・熊本代表)

第3回(4月28日)
■若者に語りたい!:私の人生から学んだ諦めないこと〜なぜ、私たちは訴訟に立ち上がったか
志村 康(ハンセン病国賠訴訟西日本原告団副団長)

第4回(5月12日)
■ハンセン病と弁護士の役割
徳田 靖之 (ハンセン病国賠訴訟西日本弁護団代表)

第5回(5月19日)
■原告団を組織して国に立ち向かった意義
曾我野 一美(全国ハンセン病療養所入所者協議会会長)

第6回(5月26日)
■支援者は何を考えたか:ハンセン病を通して日本近代史の中の人権を考える
 田中 等 (ハンセン病・国家賠償請求訴訟を支援する会代表)

第7回(6月2日)
■ハンセン病問題を人権問題の視点で考えると見えてくるもの
石埼 学 (亜細亜大学法学部助教授)

第8回(6月9日) 
■支援運動が支えた勝利判決:熊本の国賠訴訟支援運動を振り返る
北岡 秀郎(ハンセン病国賠訴訟を支援する会・熊本事務局長)

第9回(6月16日)
■ハンセン病問題研究の到達点とその担うべき課題は何か
 藤野 豊 (富山国際大学助教授)
 
第10回(6月23日)
■熊本地裁国賠訴訟判決の意義と今後の課題
板井 優(ハンセン病国賠訴訟西日本弁護団事務局長)
 
第11回(6月30日)
■患者として差別との長い戦いで学んだこと、これからの課題
神 美知宏 (全国ハンセン病療養所入所者協議会事務局長)

特別講義(7月3日)
■映画を作ることを通して考えたこと:「あつい壁」から「藤本事件」まで
中山 節夫 (映画監督)
 ※当日中山監督製作の「あつい壁」を鑑賞

第12回 (7月7日)
■ハンセン病と水俣病:研究者の責任
 原田 正純(熊本学園大学社会福祉学部教授)

第13回(7月14日)
■宿泊拒否事件がもたらしたもの
 泉 潤(熊本日日新聞社報道部)
■結び: ハンセン病問題から学ぶことは? 
遠藤 隆久(熊本学園大学商学部教)  
              
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