「揺るぎないもの」が音をたてて崩れる
僕は、2001年5月11日前後までハンセン病問題というのを知らなかった。全く知らなかったかというとそうではなくて…。「ハンセン病」や「菊池恵楓園」という名前は、ものごころついた時からなぜか知ってはいました。でも具体的には知らなかったし、正直関心もなかったんです。
熊本地裁判決の時、僕は大学1年で寮に入っていました。テレビがフロアに一台しかないので、みんなで見ていたら熊本地裁が出てるんですね。寮のメンバーが「熊本地裁って、おまえ地元じゃないか」って言うんです。「ハンセン病ってなに」って言われて…。ハンセン病っていうのはって説明しようと試みるけど、僕自身もあまり詳しく知らないので当然説明できるはずもなくて。僕自身が、連日連夜、ハンセン病についてのテレビや新聞の報道に驚くことばかりでした。
「知らないということは差別する側に荷担していることになる」。誰が言われたかは覚えていませんが、この言葉は当時の僕にとって、頭を大きな石でガッツンと叩かれたような衝撃がありました。
日本国憲法があるにもかかわらず、1996年の「らい予防法」廃止まで人権無視の政策が続いていたことに対して、僕は最初「怒り」を感じたのではなく単純に「なんで」と思ったんです。学校の中で、全ての人には人権が保障されていると思っていたし、平等、自由は憲法によって享受されているものだと思っていました。僕自身にとって人権や自由なんてものは「空気」のようなものだったんです。すごく恥ずかしいことだけど。
高校までは勉強なんて嫌いだったからそんなに影響ないだろうと思っていたんですけれど、今、振り返ってみると、高校までの教育というものの影響は大きかったんでしょうね。意外と入ってきていたんですね。僕だけかもしれないけど、高校までの間に習ったことは案外、無批判無意識に受け入れてしまっていました。
大学に入って初めて気づいたことなんですが、これまでは物事に対して「疑う」ということを知らなかった。先生たちの言葉をそのままに受けてきて、大学で勉強し始めて、初めて学問って疑ってするものだとわかったんです。ただ頭では理解していても本当に難しいですけど。
今までの僕の中での「揺るぎないもの」が、初めて音をたてて崩れるような感覚がありました。そんな経験は18歳までしたことがなかった。だから、この問題に関心を持ち、周りの友人に言わせると「ハマッテしまった」んです。ただ「ハマル」理由はもうひとつあります。それは、僕が熊本生まれであるということ。一番身近にあった差別のことを何も知らないで過ごしてきたんですから。
その時は、よし、ハンセン病を勉強しようと思っても何から手をつけていいのか分からない。大学で講座のようなものがあれば良かったのだろうけれど、そんなものはなかったし。ある人から北条民雄の『いのちの初夜』という本を紹介されて読んだのが、最初にしたことでした。
誤った知識を払拭するには、知ること以上の「努力」が必要になる
はっきり問題意識を持ったのは裁判の判決後ですが、僕は子どもの頃からなにかのきっかけで家族だったり親戚だったりから聞いて、ハンセン病というものを知っていました。今思えば、それには偏見といったものが多分にあったなと思います。
今でも、僕がハンセン病を勉強していると言うと、「あそこ(菊池恵楓園)にはスーパーもあって映画館もあるでしょ」と言う人がいる。スーパーはあるけど映画館そのものはない。そういうことを聞きながら、その人がどこで、そのような情報を得てきたのかを考えてしまう。きっかけもなくそう思うことはないのでどこかで聞いたんだと思うけど、そんな不確かなかつ誤った情報によって菊池恵楓園のイメージを抱いているんです。それは、療養所の中では、みんな幸せに楽しく何不自由なく過ごせている…恵楓園はそういったところであるということを意識付けているのかな、と。
何不自由なく過ごせていますよという情報がどこかから流れて、自分がその情報を受け入れてしまうと、ハンセン病に対する問題意識というのは薄れてくるでしょう。もしかしたら、そういうところがあるのかなぁと、最近ちょっと思うんですよね。僕が「そんなことはありませんよ」って否定しても、その人は同じようなことをまた次の機会で言ってしまう。
偏見っていうものの根深さを感じました。どんなに正しい知識を知ったところで、誤った知識を払拭するには、知ること以上の「努力」が必要になるんだと。だからこそ、小さいときから正しい情報を伝えていくことは大事だと思う。そのように考えれば考えるほど、教師という職業は大変だなぁって思います。
自治体の「啓発」にはてな
最近、
「ハンセン病・自治体ホームページウォッチング+α」
というホームページを見てわかったんですけど、熊本県をはじめ各自治体でいろんな啓発資料を作っているんですね。興味を持ったものに関してはその自治体に連絡して資料を送ってもらいました。
ある県では、療養所の入所者を対象に聞き取りをして冊子を作成していたんですが、1000部しか作っていなかった。残部がなくて「一般の人は図書館で見てください」って言われたんですね。それはおかしいでしょうってまず思ったんです。当然、費用等の問題がありしょうがないとは思うけど、そうであるならば、例えばHPにPDFで載せるというような取り組みをして欲しかった。でもその県はそのようなことをしないで、1000部しか作っていないので無理ですっていうのはどうなのと思います。それが果たして啓発なのでしょうか。きつい言い方かもしれないが、それは「自己満足」でしかない。
僕はそこの自治体に対して、そんなのは本当の啓発じゃないんじゃないですかってメールを出しました。あんまり立派すぎても、多くの人に対して手の届かないものになるんなら、ダメなんじゃないかなぁ。
「啓発」ってものは、子どもたちが理解できればみんなが理解できるんですよね。今の啓発は「怖い病気ではありません」とか「差別はいけません」という言葉が中心だけど、ちょっとその言葉が氾濫しすぎているのではないかと思います。果たして有効なのでしょうか。
関心を引き出せるような伝え方はどうしたらいいのかって考えていた時に、「ハンセン病・自治体ホームページウォッチング+α」でいろんな自治体の啓発パンフなんかを見て、三重県の啓発コミックというやり方は面白いと思いましたね。もう配布は終了していて手に入らなかったんですけど。
(2005年8月 Yさん談)