2004年度 4年生担任
04年度も4年生の受け持ちになった。前年度と同じように紙芝居を使ってハンセン病学習に取り組んだ。今年度も宮里新一さんのコンサートをする予定だったので、コンサートに向けて、宮里さんの陳述書を読んだり、コンサートビデオや我校での交流ビデオを見せた。
ハンセン病についての基礎的な理解は、パンフレットや私のホームページを使って行った。質問と答えの形でまとめさせ発表させたことで、分かりやすかったようだ。ホームページには、阿部智子さんとつれあいの阿部哲雄さんの撮影した恵楓園の写真「びーばーさんの写真館」をアップした。
きっかけづくり
その中で、恵楓園の文化祭に出品していた「ふくろうのビーズ」の写真が、子どもの目にとまった。そのビーズを子どもが買いたいというので、阿部智子さんに電話して聞いた。子どもの目の前で携帯電話を使って会話を聞かせた。阿部さんは、すぐにビーズの制作者(ふくろうさん)に聞いてくださった。すぐに子どもはふくろうさんに手紙を出した。
私は、電話でふくろうさんと話し事情を伝えた。それから交流が始まった。ふくろうさんにも学校にきてくださいとお願いしてみたが、実現できていない。ひとりひとり事情があり、社会とのかかわり方にもその人なりの生き方があるのだと思う。
子ども一人ひとりとつながりを
阿部智子さんとは、子ども一人ひとりとつながりをつくりたかったので、まず講演録を紙芝居の形で読み聞かせ、自己紹介と質問を兼ねて手紙を書いた。そして阿部さんから質問の答えをもらった。
阿部さんへの子どもからの質問と答え
Q.ハンセン病のなったとき本当に死にたいと思ったのですか? A.家族の暮らしを守るためには、わたしが死んだ方が良いと思いました、死を望んだのではありません。
Q.どうして裁判に出たのですか? A.ハンセン病でない、一人の人間として生きたいと思いました。
Q.今の生活で一番むずかしいことは何ですか? A.むずかしい事は、私たちの体験をみなさんにお話しすることです。
Q.今はつらくなることはあるんですか? A.心のこと、身体のこと、生きること。
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阿部さんの答えの一つひとつの言葉は重い。
子どもと保護者で療養所へ
夏休みに、大分の歩む会が恵楓園に交流に行く計画があったのでそれに便乗させてもらって、クラスから希望者を募って出かけた。参加したある母親は、「恵楓園に行っているときだけは、心が癒されました。また機会があれば誘ってください。行きたいです。」と話していた。その後もその母親は、会う度に阿部さんのことやハンセン病のことなどを話しかけてくれる。
阿部さん夫妻は、子どもが行くということで、園の中で捕まえたかぶとむしやくわがたむしなどをプレゼントしてくれた。ふくろうさんもクラスの子どもたちみんなにビーズのふくろうを作ってくださった。子どもたちのことを大事にしてくださって、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。阿部さんはいつも私たちが園に行くと温かく迎えてくださる。あまり気遣いをさせては申し訳ないと伝えると、「私たちは、人生の中でそんなに多くの人には出会えないから、せめて出会えた人には、感謝の気持ちを伝えたい。大事にしたいと思っているんです。」と話してくださった。
宿泊拒否事件から
宿泊拒否事件については、いやがらせが続き解決の行方がとても気になっていた。ある日恵楓園発行の機関紙「菊池野」を読んでいたら、直接交渉にかかわった方がホテル側は謝罪の意思がなかったと書いていたのを読んで憤りを感じた。それがきっかけとなり宿泊事件をテーマにした紙芝居「かなしい里帰り」を作って子どもたちに読み聞かせた。
宿泊拒否事件を学習した感想や手紙
○わたしは、支配人さんが断ったときにすごくむかつきました。自分がいやだからお客さんのせいにしたり、てきとうにあやまったり、おわびにホテルをこわしたりしたのだから…。お客さんはいやだとは言ってないのに。私は支配人さんにもう一度心をこめてあやまってほしいです。そして、ハンセン病回復者の人と仲良くなってほしいです。あと、最後に、支配人さんにもっとハンセン病のことを正しく知ることと、回復者の人の苦しみとやさしい心を知ってほしいと思います。
○私は、かなしい里帰りの勉強をして、ハンセン病の回復者の人と友だちになってみたいと思いました。支配人さんは本当はやさしい人なのかなと考えてみました。支配人さんは、ハンセン病のことさえ知っていればホテルに泊まらせてくれたと私は思いました。そういうときに私がそこにいたら協力してあげるといいなあと思いました。回復者の人たちがどんなに心が痛んだのか、自分はどうして「いいよ」と言ってあげられなかったのか、私だったら考えます。私はやさしい人になりたいです。だから人の気持ちを考えて思いやりのある人になりたいです。
○かなしい里帰りで私が一番気づいたことは、一番最初に友だちを作ることがいいと思いました。それと前向きに行こうということです。勇気が出せなかったら、お友だちといっしょにがんばっていけば大丈夫です。
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なるべく身近に触れ合う
阿部さんとは、手紙やメール電話、ビデオレターなどを通して交流をし、10月に学校に来ていただいた。交流会では、阿部さんの話のあと、子どもたちの手品や出し物で楽しんでもらえるように計画した。なるべく身近に阿部さんを感じてほしかったので、阿部さんを丸く囲んで座った。阿部さんには、交流の度に辛かった話をしていただいて申し訳ない気持ちである。産むことのできなかったお子さんの話など、話すのはとても辛いだろうと思う。だからこそ、聞く側はしっかりと受け止めていかなければならないと思う。
阿部さんとの交流後の感想
○療養所に入っていて親が死んだと聞いたとき、体が飛び散るくらいつらくて悲しみも怒りもあったそうです。せめて死んだときくらいそばにいたかったと聞いて、わたしも智子さんと同じ立場だったらつらくて泣いていただろうなと思いました。わたしもそばにいたかっただろうなと思います。親が亡くなってもふるさとへ帰れないそうです。それを聞いて、わたしは智子さんと同じだったら、死んでもふるさとへ帰りたいだろうなと思いました。…親がいないと死ぬこともこわくなかったそうです。自殺したかった。でもけむりのように死にたかったけど、体が残ってしまうから自殺はできなかった。私は、智子さんの気持ちが体中に伝わってきました。
○智子さんは自分が病気になっていたけどぼくたちには「健康に過ごしてね」と言ってくれました。まるでぼくたちを自分と同じに思ってくれているようでした。握手をしたときすごくぬくもりを感じたし、握手してみてもぼくたちとほとんど同じ手だったのでなぜハンセン病を嫌っていた人はいやがっていたのかと、その理由が知りたいくらいです。
○智子さんがマジックを見て笑ったり驚いてくれたのでうれしかったです。そのあと「涙そうそう」の歌をきいてもらって喜んでくれたと思います。ぼくはかわいそうとか思っていたけど、智子さんも哲雄さんも病気に負けず強く一生懸命がんばっているなあと思いました。最後に智子さんがプレゼントをもらったとき「ありがとう」と喜んでくれたことがうれしかったです。これからもがんばってください。
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04年度は、3・4年生でハンセン病の学習に取り組んだので、同じ日に恵楓園の太田国男さんにも来ていただき、他の3学級の子どもたちと交流していただいた。太田さんとは、その後も掲示板で交流した子どもがいる。