<ハンセン病 >思い伝われ―教室からの発信

 

子どもたちの疑問から紙芝居

紙芝居「ふるさとへ帰れないありさん」
 子どもたちとハンセン病の学習をして、理解が難しかったのは、「なぜふるさとへ帰れないのか?」ということだった。そこで、無ライ県運動などによって大げさな患者狩り、消毒などが行われ、恐怖心をあおった政策や市民から受けた家族の差別などを紙芝居「ふるさとへ帰れないアリさん」にした。






講演会の企画・ひとりの回復者の思いを知る

 8月、教職員組合主催の教育講演会で阿部智子さんを講師に招くことになった。その講演の中で阿部さんは、裁判についてこう語った。「裁判がおきて後に私たちにも人権があった、ここで人間として出発ができるという思いですぐに原告になろうと思いました。原告になってから、自分に人権があったことを感じるようになりました。・・・・・裁判が終わって、ふるさとが近づいてくるかと思ったけれど、ふるさとは厚い壁の向こうに遠ざかっていきました。」そして「死んだらふるさとへ帰りたい。でも帰るふるさとはない。ふるさとのなつかしい風景が見えるところに散骨してほしい。」と思いを語ってくださった。

 参加者の感想
○「感情を出せない人間になっていた」と語った阿部さんの話を聞いてどんな人間回復の仕方があるのだろうか?と考えました。自分の苦しかった園での生活だけでなく、心の中の細かい揺れまで本心で語ってくれ、感動しました。人間をにんげんとして扱わなかった時代。しかし、その中でわが子を遠くから見守っていたご両親。自分に置き換えて考えてみると胸が張り裂けそうです。いわれなき差別は世の中にたくさんあります。私たちが阿部さんのような思いをする人を少しでもなくすよう努力していかなければ……。

ビデオの利用

 阿部智子さんからは、阿部さん自身が出演した「奪われたきずな」という家族とは何かをテーマにした番組ビデオを見せていただいた。阿部さんは、家族を奪われ子どもを奪われ、家族のために何十年とじっと耐えてきた。しかし両親の死も知らされなかった。家族のことは、どうしても忘れることはできないけれど、自分の人生を一歩踏み出すためにあえて家族を忘れようとしている阿部さんの思いが伝わってくる。遠く離れている回復者と子どもたちは、数多く会うことはできないが、せめて映像を見ることで親近感を持たせたい。

○阿部智子さんは、家族と一緒がよかったですね。もし、ぼくが女で子どもを生めなかったらいやです。阿部智子さんの気持ちは、ぼくもわかる。阿部さんが、子どもを生みたかったのに殺されて、ぼくは、ゆるせない。ぼくは、文句を言いたいくらいです。

○菊池恵楓園の中の様子がわかった。阿部智子さんが住んでいる家の中には、テレビと小さい置物がたくさんあった。どうして赤ちゃんを殺すのかよくわかったけど、阿部さんは、とても悲しそうな顔をしていた。阿部智子さんは、捨てられたねこを飼っていた。でもねこより、子どもの方がもっとほしかったと阿部さんは思っている。とっても悲しいです。

講演録の読み聞かせ

 阿部さんの思いや経験を少しじっくりと子どもたちに伝えるために、次は阿部さんの講演記録を読み聞かせた。
○感動しました。すごく勉強になりました。もう、ずっとこの勉強(ハンセン病のこと)の話は忘れません。心に残ったところは、(ハンセン病だった人たちのために)がんばってくれた人たちがいてくれたことです。もし、(応援)してくれなかったら、ずーっとだめだったでしょう。(隔離が続いたでしょう)みんなのおかげで裁判にも勝てたことをぼくは、絶対、絶対心に入れておきます。阿部智子さん、体に気をつけてがんばってね。

手紙による個別のつながり

 クラスで学習をすすめていくと、ハンセン病の問題に特に興味を持つ子どもがでてくる。そういう子どもには、個別に阿部さんとのつながりをつくるようにした。阿部さんへ手紙を書いて渡したり、阿部さんからのメッセージを子どもに伝えたりした。

 ともくんから智子さんへの手紙
○ぼくは、ぞうになりたくないんだけどいつも友だちにちょっかいを出してけんかします。だけどみんなの気持ちをよくわかろうとぼくは努力しています。阿部智子さん、ぼくに手紙をください。どうすれば気持ちがわかるのかを教えてください。

 阿部智子さんからのメッセージ
○ともくん、お手紙ありがとう。この前のお手紙もうれしかったです。ともくんは、とてもやさしいお子さんだと思っています。だから、そのやさしさを友だちと遊ぶときに出してほしいと思います。自分の心のおくにあるやさしい気持ちを出していったらいいと思いますよ。そして、相手の身になって考えてみてください。自分がそうされたらどうなのかを考えてみたら、悲しかったり心が痛かったりするのがわかると思います。自分がかわろうと思えばかわれると思います。そして、もうちょっと気配りしたらリーダーさんになれるんじゃないかな?それから鏡に向かっていろんな顔をしてみてください。きっとにっこりした顔が好きになると思いますよ。自分がにっこりしていると、まわりの人もやさしくしてくれますよ。まわりにいる人は自分をうつす鏡だと思います。わたしは、やさしい子どもが好きです。

 ともくんからの手紙
○阿部智子さん、お手紙ありがとうござます。ぼくは、阿部智子さんの手紙にすごく感激して、ぼくは、泣き虫なので泣いてしまいました。ぼくは、鏡に向かってにこっとしてみます。どうもお手紙ありがとうございました。またいつか、お手紙を書いてよいですか?阿部智子さんもおけがやお体に気をつけて元気に気楽にいてください。

気持ちを寄せ書きに

 宿泊拒否事件を受けて、菊池恵楓園入所者への寄せ書き 11月、宿泊拒否事件が起こった。阿部さんたちはどんな思いでいるのだろうかと心配だった。子どもたちのその思いを伝えるために激励の寄せ書きを持って、大分の共に歩む会の方たちといっしょに恵楓園に行った。裁判に勝利し、少しずつ少しずつ外の世界に出て行こうとしていた回復者の方たちの気持ちを踏みにじるような事件だった。回復者の方たちは、深い谷底に突き落とされるような気持ちがした、もう起き上がれないと思ったと話してくださった。

 宿泊拒否事件についての学習では、まず事件の概要を知らせ、里帰り事業の始まりと意義、大分県の里帰り事業の現実を知らせた。そして、「宿泊拒否 ハンセン病回復者の人権・事件の背景」のビデオを見せた。




交流へのステップ

 阿部さんと子どもたちとのつながりも少しずつできていった。そこで実際に交流ができればと思った。恵楓園から学校までは車で3時間もかかるし、寒い時期なので体調も心配だったので、なかなか来てくださいと言い出せずにいた。きっとハンセン病学習に取り組む他の教師も、回復者に来てくださいと言い出すのは、勇気がいると思う。
 阿部さんは、年度が替われば子どもたちもクラス替えがあり今の時期がよいだろうということで、決断してくださった。人とのつながりは、お互いに話し少しずつ築いていくしかないと思う。思いを伝えていくことが大事だと思った。
 交流では、阿部さんに療養所の中での生活について話していただいた。お迎えの気持ちを書いた子どもたちの言葉を集めて、「べっぷふるさと宣言」を作った。

 べっぷふるさと宣言
  阿部智子さん・大分県出身者のみなさん・菊池恵楓園のみなさんへ

 私たちは、4年生になってハンセン病の学習をしました。
 阿部智子さんや宮里新一さんや太田国男さんやハンセン病の裁判のことも学習しました。はじめは、よくわかりませんでした。でも、だんだん、ハンセン病のことがわかるようになってきました。ハンセン病は、うつらないということを十分に分かっています。ふるさとへ帰れないというのがとてもつらいと思います。ハンセン病回復者のみなさんがどんなにがんばっているかも知っています。わたしたちは、もっと多くの人にハンセン病について知ってほしいと思います。

 黒川温泉の宿泊拒否事件は、とても悲しい気持ちになりましたね。私もとても悲しい気持ちになりました。今は治っているのに、拒否するとは許せません。差別はいけないと思います。私が、ホテルの人だったら拒否したりしません。
 
 阿部智子さんもつらい思いをしてきたのですね。でもつらいけど、これからも勇気を出してがんばろうとしていることを知りました。私はそんな阿部智子さんが大好きです。

 わたしたちにできることはやります。みんなでやれば別府を今よりもっとすてきな町にできると思います。仲間がいっぱいいると思ってこれからも負けないでがんばってください。さみしいときは、いつでも学校や別府にきてください。そして温泉に入って、悲しみやいやなこともも忘れてください。
別府をふるさとだと思っていつでも気楽に帰ってきてください。
 わたしたちは待っています。

 学習を振り返っての感想
○今まで宮里新一さん、阿部智子さん、志村康さん、徳田弁護士、太田国男さんなどの話を聞いてきました。ハンセン病にかかった人たちはみんなから白い目で見られて差別までされてきました。そしてハンセン病はとてもこわい病気だとまちがって思われました。本当はそんなに怖い病気ではありませんでした。
 差別はなぜうまれるのかな?そんな差別はいらないと思います。昔は、ハンセン病はうつりやすいとみんな思っていました。本当は違っています。みんなで協力して差別をなくしたいと思います。みんなで応援してちゃんと正しいことを知っていないと、また差別がうまれることがあるかもしれません。みんな、うわさにはあまり惑わされないほうがいいと思います。みんな差別をしていませんか?していたらやめてください。もう昔のように隔離も差別もなくしたいと思います。
 徳田弁護士は、ハンセン病の人たちの味方でした。そして、何日も何日も裁判のことでいっぱいでした。徳田弁護士はとても優しい人だと思いました。みんなで力をあわせれば裁判で勝つことも何でもできるとぼくは思いました。ぼくたちもみんなで力を合わせましょう。

 

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