〜完成しました〜『お話を聞かせて下さい−13人の新潟県出身ハンセン病療所入所者の聞き書き集』

 
 「結ぶ会」は4年前のハンセン病問題熊本判決以降、何回か新潟県出身者が多数入所している草津の栗生楽泉園と多磨全生園のハンセン病療養所を訪問して、県出身入所者との交流を深めてきました。
 「聞き書き集」作成のきっかけは楽泉園の加藤順子さんの突然の死でした。加藤さんは「新潟の思い出は海岸で泳いだこと。目が見えたら浜へ行って昔を思い出したいが盲人だから行く気になれない。もっと若いうちに行っておけばよかった」と語っていました。
 「会」の仲間と療養所での合宿を繰り返し、2年がかりでこの度「お話を聞かせて下さい−13人の新潟県出身ハンセン病療所入所者の聞き書き集」を手作りで完成させることができました。

 私にとって一番印象に残っているのは最初に記録した当時83歳の全盲の男性K・Sさんです。
「今までマスコミが話を聞かせてくれと何回か来たが、家族に迷惑がかかるから断わってきた。同郷から来たのであれば話そう」とたっぷり2時間、休みなくお話いただき、私は必死にノートにペンを走らせました。
 Kさんは故郷に奥さんも娘さんもお孫さんもおられます。送った裁判の賠償金を家族も喜んでくれ、「帰りたい」と電話すると、奥さんは「家の方は差別がなくなっていない。帰ってきたら娘や孫が困る」と。電話を代わった娘さんは「お父さんが帰りたかったら帰ってきてもいいよ・・・」と涙声になった。「私はそれ以上何も言えなかった。帰る勢いがなくなった」と語っています。

 栗生楽泉園の次に県出身者が多い多磨全生園では84歳の男性、全盲のS・Sさんが病棟のベッドで話を聞かせてくれました。ベッドの上に可愛い女の子の写真が飾ってあり、私が聞くとSさんはにっこり笑って「私の孫」と教えてくれました。故郷のボランティアの人がよく来てくれて、その人の孫が「私の孫」になってくれた。「東京のおじいちゃんに会いに行くんだ」と来てくれる。家でも私の写真を見て「おじいちゃん、ただいま」と元気にあいさつするんだと楽しく語ってくれました。
 Sさんの短歌を1首。

石を持て追わるる如く里を出て入院して早七十余年

 この「聞き書き集」作成の中心は学生や若い社会人です。彼らは「一度療養所を訪問するとまた行きたくなる。何でなのか入所者と話しているとほっとする」との共通の感じを持ちながら、小冊子の最後で「療養所で受けた温かいもてなしを、私は一生忘れることはないでしょう」「みなさんのあたたかくて優しい魅力を感じて、自分の生き方を教わっているような気がします」「自分のことを話すのは絶対に嫌だと言っていた女性が帰り際に『話さないけど、また来てね』とつぶやきました」と思いを綴っています。

 県人会役員のS・Yさんとは「昔泊まった新潟駅前の篠田旅館で大宴会をやろう」、東蒲原郡出身のS・Kさんとは「小学校の遠足で登った麒麟山にいっしょに登ろう」と約束をしています。早く実現したいものです。
 全国13箇所の療養所入所者は現在3千2百名、1年間で2百名が亡くなっていきます。20年間でいなくなってしまう。「今を生きている」県出身者50名全員に会って、「聞き書き集」の第2弾の準備にかかります。

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(2005年8月)
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