3月24日に2006年度第3回沖縄県ハンセン病証言集編集委員会がありました。通算6度目で最後の委員会です。前回から6カ月が経ちました。この間に愛楽園と南静園の編集事務局はそれぞれ証言集の骨格部分にあたる入所者証言の編集作業をしていました。
愛楽園事務局の何よりの課題は予定頁数を大幅に超えた草稿を削減することでした。作業の結果、128の証言が545頁に収まりました。1証言あたり平均4.2頁(4,000字弱)です。これは人生を語るには短く、証言から重さ深さを奪ってしまったのではないかということが心配です。他方でB5版600頁になる大冊を手に取る読者がどれほどいるのかが不安です。結局、私たちは、できるだけたくさんの話者の声を届けたいという気持ちのあまり、他の大事なことを犠牲にしてしまったのではないか・・・。あと少し時間が残っているので、もう一度すべての証言と向き合ってみたいです。
もちろん多くの証言を集めたことで理解できたこともあります。証言集『沖縄愛楽園編』は第6章に断種・堕胎に関する証言を収録します。読者の中には、子供をもつ回復者が沖縄には多いという印象を受けたことのある人がいるかもしれません。正確な統計は発表されていませんが、たしかに沖縄の回復者の平均年齢が本土に比べると低い点などはその理由となるように思います。
しかし他にも理由がありそうだというのが気付いたことです。沖縄戦は療養所を破壊しますので戦後は廃墟からの再出発です。そのため所内の居住条件は悪く、しかも入所者数は定員を大幅に超過していました。夫婦舎も不足している状況です。また職員数も少なく管理体制は十分ではありません。そうすると結婚の条件としての断種は困難となり、通い婚が先行し、断種が行われるのは妊娠が知られてからになります。建前の世界では断種が多くなれば堕胎は減ります。この建前が崩れたとき妊娠が多くなります。しかし、まず断種は必ずしも減るわけではありませんし、次に出産と堕胎が多くなります。
沖縄では出生した子が多かったとしても、堕胎された子も多かったのではないでしょうか。しかも出産と堕胎という二つの道があったこと、それは決して自由な選択肢ではありませんでしたが、後者の道を歩いたとき、大きな沈黙が支配するのではないでしょうか。
さて、編集作業が大詰めとなってしんどいのは、できあがった証言について話者の掲載許可がおりないことです。最後の最後になって、やっぱり駄目だと・・・。内容が重たくなればなるほど、深まれば深まるほど、「やっぱり・・・」といつ言われるかととても心配です。そして「駄目だ」と言われる。
まったく誰の証言か分からないように書きかえることもありますが、氏名のない証言集というのは寂しいです。128の証言のうち、今のところ53は「****」という完全な匿名です。この証言集のために新しく仮名を付けることはやめておこう、できるだけ本名掲載をお願いしていこう、というのが愛楽園編集事務局の一致した見解でした。そして半数以上の話者が「金城**」「**カメ」のように少なくとも氏名の一部を残してくれたことが、はじめは嬉しかったのです。しかし、仮刷りした目次を見るとこの伏せ字の多さは異様でした。ハンセン病の現実が一目瞭然で、壁にぶちあたって挫けた格好です。いやそれでも、私たちの編集作業を思い返せば隠す隠すの連続で、匿名でも語ってもらえて、証言掲載を許可してくれたのであれば、それは大切な一歩なのだと思いたいです。
私の一番の経験は、聞き書きをまとめて話者に読んでもらうと、「こんなものではない」「あらぬ方向に走っている」と感想が返ってきたことでした。長く心の中にあったものが数頁に整理されたとき、それは全然違うというのは仕方がない、私たちの作業の性質上の限界であると自分に言い聞かせてもみましたが、以後、私の頭を離れない言葉になっているのは事実です。
そして、今思うに、やはりあの原稿は私の意図が強すぎました。ここを聞き出したい、この事実は重要だ、と私があれこれ考えるうちに、話者の一筋の思いにいろいろなものが紛れ込んでしまいました。語られてくるものを虚心に待つ。ただそれを書きとめる。そんなふうにしていきたいのですが、私たちの作業は時間切れで終点に近づいています。
2007.3.31 沖縄愛楽園証言集編集事務局・森川恭剛