愛楽園でのアイヌ文化交流 オキナワ学びの旅  竹内渉

 市民学会のみな様、初めて投稿します。今は「北海道」と呼ばれている北の大地・アイヌモシリ(アイヌの大地)住人・竹内です。社団法人北海道ウタリ協会というアイヌ民族団体の職員をしている和人(≒ヤマトンチュウ、非アイヌ)です。
 2006年11月16日に愛楽園(沖縄県名護市)で、アイヌ文化交流を実施しました。愛楽園入居者自治会等のご協力を得て、充実した交流となりました。以下、その報告をいたします。

 「和光園の入所者は、外の催しに参加することは難しいから、こちらから訪問して、ミニ公演をしましょう」と、2001年1月に奄美でアイヌ文化交流を行った時の受け入れ窓口であった松田氏(当時名瀬市教委文化課課長)から提案があり、ハンセン病問題に取り組む基本姿勢を教えていただき、貴重な経験をすることが出来た。
 今回、札幌ウポポ保存会(国指定重要無形民俗文化財保持団体)による愛楽園内でのアイヌ文化交流を企画したのは、第一にこのときの経験に基づき、アイヌ伝統文化の出前公演を意識したからであった。
 第二に、「被差別者」であるアイヌが、「加差別者」としてハンセン病療養所で、入所者の方々と直接に触れあうことによって、学ぶことが多くあると考えた。
 第三に、この文化交流を外部にも開放することによって、近隣の市民が、愛楽園に足を運ぶきっかけになるのではと、考えたからであった。
 11月16日、愛楽園公会堂に参集してくださった入所者の方は、思ったほど多くはなかったが、車椅子で、看護師の付き添いで駆け付けてくれた方もいた。そしてなんと、園内全戸、全施設に生放送でテレビ中継され、寝たきりの人も、リハビリ中の人も、仕事中の職員も公演を見ることが出来たというのであった。(こんなに充実した放送設備は愛楽園だけと聞いている)
 公演の成果を計る一手段として参加者数があるが、このテレビ中継によって入所者と職員でおそらく600名は超える方々が「参加」したことになり、数の上からも大きな成果といってよいと思う。
 公演終了後、園内を迎里自治会長に案内していただき、視察研修したが、行く先々で、「テレビを見たよ」「すばらしかった」と言っていただいた。第一目的の「出前公演」は成功であった。
 残念なことは、第三目的の園外の人々の取り込みであった。会場にはほんの数人程度しかいなかったように見えた。今後の反省とし、次回以降の交流の際には生かしていきたい。
 しかし、琉球朝日放送が、同夜ニュース番組の中で、「目玉ニュース」的な取り上げをしていたので、かなり多くの沖縄県民が見てくれたであろう。また、琉球新報が11月22日朝刊で、カラー写真入りで大きく報じてくれた。これによって、第三目的も、かろうじて(マスコミの力によって)達せられたといってよいだろう。
 迎里会長が閉会の挨拶で、「戦時、日本語の強制など差別の歴史を歩んだ沖縄。アイヌも同じような差別の中で生きてきた歴史がある。(愛楽園に入所する)われわれはハンセン病で差別や隔離など悲惨な出来事があった」(琉球新報)と差別に言及してくださった。
 私は「加差別者」として学ぶ立場から、あえてアイヌ差別については触れずにいたのだが、「差別を生んだ社会を批判し、今回の交流に感謝」(前掲)してくださった。声に出さなくても言葉にしなくても、私(たち)の思いを感じ取ってくださったことに感謝したい。
 今回は園内の面会者宿泊所で二泊し、食事も入所者と同じ料理をいただいた。二日間という短い時間ではあったが、ハンセン病問題に無知であり続けてきた私(たち)にとっては、長く貴重な時間であった。後日、『愛楽園証言集』の編纂に取り組まれている方から「入所者の皆さんが、あんなに楽しそうにされているのを久しぶりに見た気がいたします」との葉書をいただいた。これを励みに、来年度以降も迎えてくださる療養所がある限り、交流を続けていきたいと考えている。
 17日朝、愛楽園を後にして、沖縄の抱える(私たちが抱えさせてしまっている)基地問題の一端について、短い時間しかとれなかったが、辺野古テント村で教えていただいた。
 その後、佐喜眞美術館で、琉球弧を記録する会の比嘉豊光さんから、自身が記録された沖縄戦の証言映像を説明を受け鑑賞した。また、館内を佐喜眞道夫館長の解説付きで見学するなど、通常の観光では考えられない贅沢な「旅」となった。
 午後からは、美術館前広場で、佐喜眞家の大きな墓を背に、広大な米軍基地を前にして、見せることが主体ではなく、沖縄の地で多くのことを学ばせていただいた感謝の思いを込め、「奉納の舞」としてアイヌ伝統歌舞を披露した。
 館長から、「亀甲墓前で踊っていただきありがとう。昔、沖縄の人々が、亀甲墓落成を祝って歌った歌詞にある『銀の森』『金の森』ということばに、(アイヌ神謡の)ユカラのような清らかさを感じて、いま、『銀の森』をつくっているところです。みな様のアイヌの歌と踊りが、また新らしい意味づけになりました」とのうれしい感想をいただいた。
 最後になったが、今回の交流は、既述の方々と愛楽園自治会、愛楽園、高良勉氏、訓覇浩氏、ハンセン病問題ネットワーク沖縄の協力と、アイヌ文化振興財団の助成なしでは実現しなかった。記して感謝したい。

※本文は、沖縄の市民活動雑誌『けーし風』第53号(2006年12月20日発行)に寄稿した文章に加筆修整したものです。
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