ハンセン病回復者にとって湯の街べっぷを第二のふるさとに」実行委員会

メッセージ
 先日、約1週間に及ぶ別府市でのハンセン病問題啓発のための取り組みが終わりました。別府市をはじめ、実行委員会のみなさん、応援をしてくださった各種団体の方々のご協力大変ありがとうございました。

 7月2日は、中山節夫監督のお話を聞き「あつい壁」の映画会をしました。5〜7日には、市役所市民ホールにてパネル展を開催しました。学校交流訪問では、上人小学校、別府溝部学園、大平山小学校、鶴見養護学校で子どもたち、学生、保護者との交流が行われました。最終日の9日には、「ハンセン病回復者にとって湯の街べっぷを第二のふるさとに」をテーマにしたシンポジウムと、「新ちゃんinべっぷお帰りなさいコンサート」を行うことができました。

 思い起こせば、3年前に別府市主催の「差別をなくす市民の集い」に宮里新一さんを招き、その際、宮里さんが別府市長に表敬訪問をしました。宮里さんは「療養所のない別府市でこのような啓発活動に取り組んでいることはとても力強い。是非、この取り組みを可能な限り全国に発信していきたい。そして是非、別府市からも発信していただきたい。」と発言しました。市長はその言葉を受け「是非宮里さん、毎年別府で毎年やってくださいよ。」と応えました。そのような経過の中で2年目は、別府市から「実行委員会を立ち上げいっしょに活動をしていこう」という呼びかけがありました。そして実行委員会のメンバーを徐々に増やしながら3年目を迎えたのです。

 今年は、高校生や小学校・中学校・高校・大学の学校職員、一般市民の方、報道関係、映画関係、観光協会、商工会議所、旅館ホテル組合、各種団体の方々が集まり約40名の会員を構成しました。このように多くの方々の協力をいただけたのはやはり3年間続けてきた成果であろうと思います。

 先日22日に行われた第6回実行委員会での総括会議では総務、組織、宣伝各部より成果と課題が出されましたが、最後に担当課である人権同和教育啓発課より「別府市として3年間取り組んできた。一つの事業についてはだいたい3年が目途であると言うことで、今回を持ってこの実行委員会からは別府市としては手を引かせていただいたい。今後できることについては可能な限り協力は惜しまない」と申し出がありました。

 私たち実行委員会としては、まだハンセン病回復者の方々には、この別府の地を第二のふるさとと感じてもらいお帰りなさいと迎え入れる土壌は十分ではない。やっと取り組みの途についたばかりであるという認識があります。映画会やコンサートなどいずれの企画にしても参加要請をかけなければ人が集まらないというのが現状です。教育の現場でもまだまだ啓発が進んでいるとは言えません。そのような中で実行委員会から行政が退くということは大変残念です。

 私は、過去の強制隔離の一端を担ってきた学校現場や行政現場が、この問題は自分たちの責務なんだという認識をもち取り組むべきだと思っています。
 行政が抜け、これからは市民運動としての出発となります。何年取り組んだからもういいだろうではなく、どのように市民啓発が進んだか、回復者のみなさんがふるさとへ帰れるようになっているのかということを念頭に、これからもハンセン病回復者にとって湯の街べっぷが第二のふるさとになれるように粘り強く取り組んでいきたいと思っています。皆様方からのご支援を今後ともよろしくお願いいたします。
(2005年8月)
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