ハンセン病回復者にとって湯の街べっぷを第二のふるさとに」実行委員会

メッセージ

【1.映画「あつい壁」上映会】

7月2日(土)19:00〜中山節夫監督の話
19:20〜21:00映画
 別府市コミュニティセンターにて約80名の参加者があった。
 アンケート調査を行って10代から60代までの46名の方から感想を聞くことができた。特に中山監督の話を聞けたことで、映画の内容を含めハンセン病の差別の実態が理解できた、監督の思いを直接聞くことができたのでTVやマスコミ、インターネットを通じて勉強したことよりもより深い理解を得ることができたというような感想が見られた。

[アンケートからの感想]

○10代 男性 小学生
 はじめて見たけど、感動した。最初らい病にかかって病院に入ってお父さんと別れたこと。差別することは悪かったと思う。
○10代 女性 高校生
 私は、今までハンセン病になった人たちの考えや気持ちを聞くことはあってもその家族の気持ちを知ることはなかったので、映画をいう形で間接的ではあったけど今回の映画で今回の映画でハンセン病になった人たちの家族の気持ちも少しだけ知ることができてよかったと思います。
○20代 女性 教職員
 初めてこの作品を見ました。新聞や講演より、より人々の心の痛みを感じ、涙が止まりませんでした。自分はどう行動すべきなんだろう…とずっと自問しながら「しんちゃん」の顔を見ていました。たくさん勉強し、行動できる人間になりたいと思いました。
○40代 女性 一般
 エンディングの歌の歌詞「かべの穴から見える空とぼくの上にある空と…」という言葉が心に残りました。もっとたくさんの人に見てもらいたかったです。私も一人で来るのではなく、誰かを誘ってくればよかったと思いました。
○40代 女性 教職員
 「あつい壁」というのは人間のこころの中にある壁だということを改めて考えさせられました。岡本先生のような純粋な気持ちを取り戻したいとも思いました。
○60代 女性 一般
 無知は罪です。真実を学ぼう。
映画館会場
映画会 会場 拡大
中山節夫監督
 映画会 会場
  映画会 会場 拡大
  中山節夫監督

【2. ハンセン病人権啓発パネル展】

7月5日(火)〜7日(木)まで別府市役所市民ホール(1階)
7月6日(水)別府溝部学園短期大学 にて行った。

●今日新聞(7/5)記事より

 パネル展では、偏見と差別に苦しめられた患者・回復者の声や、ハンセン病国家賠償請求訴訟で原告側が勝訴し、政府が判決を受け入れて過去の隔離政策を謝罪したことなど、歴史的経過を紹介してくれた。

【3. 学校交流訪問】

 7月5日(火)別府市立上人小学校1年生と保護者宮里さんと児童
    6日(水)別府溝部学園短期大学
    7日(木)鶴見養護学校(昨年交流のあった子どもと)
         別府市立大平山小学校2年生と保護者



●大分合同新聞(7/6)より

 上人小では、苦しい時期に作った思い出の曲「五月の街」、タイの言葉で「大丈夫さ」という曲「マイペンライ」の2曲を披露。透き通った宮里さんの歌に1年生の児童や保護者は大きな拍手を送った。宮里さんは「別府は理想的な教育の場があり好きです。やると決めたらすぐみんなで行動できるところは沖縄と似ているかも」と話していた。

●朝日新聞(7/7)より

 宮里さんは、介護福祉学科の学生や高校生ら約110人を前にギターを弾きながら歌を披露。曲の合間に自らの病歴や国の隔離政策への思い、今なお療養所で暮らす人々の苦悩を語り、福祉の担い手となる学生に「高齢の回復者にみなさんの手を差し伸べてほしい」と呼びかけた。


●今日新聞(7/6)より

 宮里さんは、ギターを奏でながらオリジナル曲を披露。曲の合間に自らの病気の経験や国の患者隔離政策の問題などを述べ、人権に対するしっかりとした認識の必要性を訴え「介護の仕事の原点にしてほしい。そうでないと挫折すると思う。」と語りかけた。コンサートに先だってビデオ「人間としてーハンセン病訴訟原告たちの闘い」の上映、別府でのコンサート実行委員会の稲尾聡文実行委員長の講和があった。溝部佳子学科長は、「人権の問題は若い時期に考えてほしい。新ちゃんから肌で感じてほしい。」とねらいを話した。


●大分合同新聞(7/7)より

「七夕の日、再会かなった」
 ハンセン病回復者でシンガーソングライターとして活躍する宮里新一さんの歌が一人のハンディある少女にゆめを与えた。7日、少女の通う鶴見養護学校を宮里さんが訪れ「大丈夫。  頑張れば何でもできるよ」と激励した。
 「宮里さんに励まされた」と話すのは、病気で幼い頃から車椅子を利用している竹内優希さん(中学部2年)出会いは2年前。新ちゃんinべっぷ「お帰りなさい」コンサートに出演するため別府市を訪れた宮里さんが同校を訪問した。歌った曲はタイ語で「大丈夫さ」を意味する「マイペンライ」。優希さんもいっしょに曲を口ずさみ何度も繰り返して歌った。その後優希さんは担当教諭といっしょにコンサート会場にも行った。最後はステージに上がり、宮里さんと一緒に大きな声で歌ったという。

 優希さんはこのときの気持ちを作文にした。「看護士にあこがれていた。大人になったらという姿を具体的に考えるようになった。自分が車椅子にのっているので看護士という仕事に就いて、人を抱えたり細かい治療をするのは難しいことに気づいた。なりたいという気持ちが強くなるほど不安に思う気持ちも強くなった。」と優希さん。
そんなとき、病気と闘い、世の中と闘いながら少し動きにくい手でギターを弾く宮里さんの姿を思い出したという。「マイペンライと歌っているうちに何となく心と体が温かくなって勇気がわいてきた。後ろ向きの考えは捨てようと思った。」
 宮里さんは「会場で一緒に歌ったことを覚えているよ」と笑顔を向けた。自分が歌うようになったきっかけを話し「自分ができること、したいことを見つけるには叫び続けること、頑張ることが大事なんだよ」と励ました。

【4.「お帰りなさい」ふるさとへシンポジウム】

7月9日(土)13:00〜13:50 別府市中央公民館大ホール
  パネラー 菊池恵楓園自治会会長 工藤昌敏氏 
  別府市ホテル旅館組合事務局長 堀精治氏  西日本弁護団代表 徳田靖之氏

●読売新聞(7/10)より

 工藤さんは、「父が別府の温泉が好きでこの地にくると懐かしく感じる」とうれしそうに語った。徳田弁護士は、「かつて国策により患者や回復者が社会から隔離された歴史を指摘し「ハンセン病には作られた差別意識がある。克服するため共に活動しましょう。」と呼びかけた。


●今日新聞(7/11)より

 工藤さんは、昭和17年、12歳のときハンセン病になって「らい療養所」少年舎に入れられた。「自給自足の名の下で強制的に農作業に従事させられた。小学校1年生もくわを握った。働かないと食べる権利はもらいださなかった。」と述懐し平成15年に熊本県黒川温泉でおきた宿泊拒否事件については「ハンセン病患者は温泉に入るより骨壷に入れ」などと手紙や電話でいやがらせを受けた。問題を起こしたホテルは自ら廃業したが宿泊拒否問題以外の理由があったのではないか」と釈然としない思いを語った。

[アンケートより]

・工藤さんのお話に心打たれ考えさせられること、知らなかったことがたくさんあった。どんな人も平等に暮らしやすい街を作っていきたい。
・工藤さんの言葉、重たい言葉でした。徳田先生がおっしゃられたとおり、このことは被差別の側にいる方が「差別しないで」というのではなく、他人事として関心を持たず差別を続けている私たちの問題なんだと改めて感じました。もっとゆっくりと聞きたいと思うよい会だったと思います。
・徳田弁護士がうれしそうに最後笑っていたのが印象的でした。もう少し話を聞きたかったです。
・いろいろな立場の方がいてとてもよかったです。徳田先生の話に社会全体が変わらないというのがありました。やはり学校でも子どもたちに伝えないといけないなと思いました。
・旅館業の方々が平等にお客を扱うという考えはビジネス上わからないでもありませんが、もう少し弱者側にスタンスを傾けてほしい気がしました。私たち普通の生活をしてきたものが平等という名で逃げてはいけないと思うので。
・ ハンセン病の問題を少しでも広げていくためには、門戸を広げいっしょに考えていく仲間をまずは増やしていくことも大事ではないかと思います。意見は違っても一緒に活動しながら理解者を増やすことも一つの方法だと感じました。

【5. 新ちゃんinべっぷ「お帰りなさい」コンサート】

7月9日(土)14:00〜15:00 別府市中央公民館大ホール

●今日新聞(7/11)より

 平成15年の「差別をなくす市民の集い」に宮里さんがゲスト出演したのが縁で、昨年5月30日ビーコンプラザで新ちゃんのお帰りなさいコンサートが開かれた。市民参加による実行委員会形式のコンサートは昨年に続いて2回目。浜田博市長が「あらゆる偏見や差別をなくそうというこの運動の輪を大きく広げていきましょう」とあいさつ。
 新ちゃんコンサートでは、会場から「お帰りなさい」と声が飛び、宮里さんも「ただいま」と応じた。ハンセン病のため友人を失い、失意の中でつくった曲や、国家賠償訴訟の勝利を受けもう一度生き直そうとする思いをつづった「五月の街」など自作の曲の数々をトークを交えギターを奏でながら熱唱。最後はギターをかかえた稲尾聡文委員長ら実行委員会のメンバーがステージに上がり、大丈夫さを意味する曲「マイペンライ」を宮里さんと一緒に歌い会場の人たちも唱和してステージと観客席が一体感に包まれた中でフィナーレとなった。

[アンケートより]

・初めての参加で来てよかった。ハンセン病について歌だけで訴えるものが強く涙が出てきた。ありがとうございました。
・これで3回目です。市民と一体化したこの催しはとてもよいと思います。これからも続けてほしいと思いました。宮里さんに来年もここでお会いしたいです。
・今日、コンサートに来てよかったです。「マイペンライ」は聞いている私の方が励まされているような気にさせてくれます。今日はいろいろなことを考えさせられました。日々自分が抱えている暗い部分や悩みもマイペンライと口ずさめば吹き飛んでいく気分です。
・五月の街を歌っているときにスクリーンに映し出されていた新ちゃんの若い頃の写真を見ていて当時の無念さを思い胸がジーンとなり涙が出ました。
・新一さんが自身を語った言葉が心に響きました。
・小2のときに子どもとありんちゃんの出会いがありました。とても大事なものに出会ったと子どもから感じました。何かを感じてほしい、気づいてほしい(親も含めて)という思いで今年も参加させていただきました。わたしたちも勇気が出てきました。
・新ちゃんの気持ちがこもった歌だと思いました。境川小に帰ってきてね。
・大平山小でのミニコンサートに続き、2回目のコンサートでした。「マイペンライ」子どもと一緒にこれからも歌い続けたいと思います。

【6.その他アンケート】

・大変ありがとうございました。続けることは大変だけど一番大切なことですね。みなさんすごく素敵です。大きな力になることを願っています。
・高校生が頑張っていてとても頼もしかったです。子どもたちがもっとたくさん参加してほしいですね。
・3回ずっと参加しています。新ちゃんも実行委員の皆様もがんばってください。お疲れ様。またやってくださいね。
・継続して企画していただきたい。また参加させてもらいたい。教職員は今とても忙しい時期なので夏休みはできないものでしょうか?差別をなくす市民の集いといっしょには無理でしょうか?みなさん仕事を持たれている中での企画運営をしてくださり、ありがとうございました。

【7. 宣伝について】

・大分合同新聞、今日新聞、朝日新聞、読売新聞各社による記事 全8つ掲載
・5月7日FM大分ラジオ放送
・NHKテレビ放送にて交流の様子が放映
・ケーブルテレビにて、学校交流やコンサートなどの様子が放映
・ポスター(シンポジウム・コンサート用)の作成 配布:大分市・別府市・日出町の図書館、コンパルホール、オアシス、ビッグアイ、公民館などに貼る
・ちらし(シンポジウム・コンサート用・映画用・パネル展用)の作成 配布
 子ども用ちらし(市内小・中・高校・養護学校・大学…35校)に配布

 「おかえりなさい」ふるさとへ実行委員会 (もりのどうぶつた
(2005年9月18日)
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