『ハンセン病を知っていますか?』パンフレット作成のお話…  福岡 みゆき (地域人権教育指導員)

            

〜ハンセン病問題との本当の出合い

 人権問題啓発の仕事について最初の研修(平成15年11月7日)がハンセン病問題で、私が着任して一週間目に恵楓園を訪問しました。女性の人権問題や子ども、障がい者の人権問題などと違って、私にとってのハンセン病問題は“身近じゃないから関係ない”の部類に入っていました。おおまかなことは、お世話になった法律事務所で、らい予防法廃止や国賠訴訟の記事など拾い読みはしていましたし、テレビでもみたかな?くらいの、本当に表面だけそれも上っ面をササッと撫でたくらいの知識でした。
 そんな私が、その時の研修で…入所者の方々の思いを聴いて、恵楓園の中を歩いてみて初めて知識としてだけ入っていた言葉「強制隔離」「あつい壁」「らい」「ハンセン病」などが、ぱぁっと頭に拡がり意味を持ち繋がっていきました。入所者の方々の話は重く、恵楓園の佇まいは静かすぎて、なんと言うのか…とてもとても悲しくなってきてしまいました。特に、強い衝撃を受けたのが「断種や中絶が当然のように行われていた。ハンセン病患者を絶滅させるための処置で、私たちは一代で終わる。」という言葉でした。それからは、様々な文献・資料を一気に読みました。疑問がでるとそれを検索し、また知らない事があると調べる…の繰り返し。そして、仕事として、まずハンセン病問題における人権侵害を啓発しなければならない…と、大袈裟かもしれないけれど強く決めたのです。 

〜パンフレット作成まで

 病気への理解や長い歴史、今も続く差別や偏見、様々な人権侵害、伝えたいことがあまりにも多すぎて、どこから伝えよう?どう取り組もう?…と悩んで、まずは、周りの意識をリサーチしました。「ハンセン病問題って知っていますか?」と、友だちや職場、学校関係などあらゆる人たちに聞いてみたら?…殆どの人が知らなかったのです。「熊本に恵楓園があるでしょ。熊本地裁で裁判あったでしょ?」なのに、水俣で人権教育に携わっている人たちでも行政関係者でも、以前の私と同じ「関心がない…」でした。
じゃあ、そんな水俣向けのパンフレットを作ろう。とにかく“身近じゃないから関係ない”私も知りえなかったハンセン病のことを、それも中学生や小学生に分かりやすく、最後まで読んでくれるボリュームで…と、恵楓園で研修を受けて1ヶ月も経たない頃から取り掛かり始めました。恵楓園を訪ねて、最初に沸き起こった疑問を思い出し「何がわからないかな?私は何を知らなかったかな?」とそればかりを考えて、「パンフレットはなるだけ文字だらけにならないように、キャラクターのセリフでのQ&A方式にしよう」と決めました。
 もう一つの課題は「恵楓園の方々はどう伝えたいかな?どういう表現がいいのかな…」で、あの膨大な人権侵害をどうコンパクトに印象深く表現すればいいのか…」でした。それでも恵楓園で聴いた思いは絶対伝えるぞ!と、下書き原稿を一気に作り上げました。
 そしてその頃、私が研修を受けた10日後くらいに黒川温泉での宿泊拒否が起きました。家庭で話題になり、身近でも話が出ている…これは啓発のチャンスというか、ここでキチンと伝えなければ!とまた、大いに発奮しました。
 

〜パンフレットの内容は…

 まず出来上がった下書き原稿を教育委員会と、市の校長会で見ていただきながら宿泊拒否問題に触れ水俣での啓発の主旨を伝えました。そうしたら、まず『絶滅させるために隔離』という言葉にチェックが入りました。「言葉が強烈すぎて子どもたち向けの資料には合わない」「…そうですか」と答えながら、心のなかでは「そういう政策を国がしたんですよ…」でも、これは仕方ないのかな…とそれなりに受け止めましたが、他の意見といえば、ふり仮名について!「子どもに見せるなら細かくつけたほうが親切です…」だけでした。「あれ?パンフの主旨はどうなのぉ?ハンセン病について、何か知っていることや思いを言ってはくれないの?」なんだか寂しくなってしまいました。
そして今度は恵楓園の方々に話を聞こうと、なんと!図々しく個人的に自治会を訪問して、下書き原稿を見ていただきました。まず、感染についてのQへのAが『鼻粘膜には多数のらい菌がいて、鼻汁の飛沫で…』と書いていたのですが「この感染経路は確定的なことではないのですよ」と教えていただき、その的確な説明でまたひとつハンセン病を理解できました。他には会話のなかで「なんで(隔離政策が)こう長く続いたのか、知って欲しいね。そうでないと、あんな風に(宿泊拒否報道のあと)誹謗中傷されるのは私たちなんですよ。私たちは病気になっただけなんですよ」という話が出ました。
 誰が、何故、何のために、こんなに長く隔離を続けさせたのかがわからないと、ハンセン病問題における人権侵害の大きな原因がみえなくなっちゃう。『絶滅させるために』がダメなら視点を変えて、誰が何をしたのか=「国がそんなことしたの?」「ひどいね…」というセリフを入れました。今読むとPart.1ではしつこいくらい国の責任を書いています。
 (この時に「啓発頑張ってくださっていますね、ありがとう。私たちにはね、もうあんまり時間がないから、あなたみたいな人がいると嬉しいんですよ」と励まされました。まだパンフレットは出来上がっていないのに…もう、涙ぽろぽろで帰途につきました…)
 そしてまた訂正版を教育委員会で見てもらったら、「う〜ん、国がした…という表現は、ちょっと強すぎないかな?違う書き方はない?」と言われましたが「いえ、これをぼかしたらハンセン病問題における人権侵害がなんで起こったかわからなくなると思うんです!」と、私きっと強面で言ったんでしょうね。上長が即「そう、恵楓園から何も意見がなかったんなら、このままでいいんだろうね」とおっしゃいました。
 印刷所に出す前にもう一回学校関係にも見せて欲しいとのことで「ん?『国がそんなことしたの?』の再チェックかな??」と思いながら提出、そうしたら「ふり仮名ね、こんなに親切に付けると(小学4年生まで対応のふり仮名をつけた)子どもたちが自ら辞書で調べるという作業をしないから、中学生対応まででよくないですか?」と…「またそこですかぁ〜」の意見を一ついただいただけでした。
 そして出来上がったのがPart.1! 予算もとっても控えめで、何とかカラーとはいえペラペラの紙で…でも意思を貫いたパンフレット!は、さてどういう運命をたどるのか?

 …実は水俣の子どもたちへは殆ど配布できませんでした。各小中学校の学校長や職員宛に配布して、いくつかの学校職員の人権研修でパンフを利用した講座はしたのですが…子どもたちには、唯一、阿部智子さんが水俣に来てくださった講演で、その一つの小学校の5年生だけには配布しました。その時、初対面の阿部さんから「これ、良く出来ているわねぇ」と褒めていただいたのがとっても嬉しかったのを覚えています。その後は、恵楓園の方々が利用して下さり、皆さんの講演先の市外、県外の小中学校から、ぼちぼち問い合わせがあって送付しました。
 そうして水俣市以外の学校現場で利用してくださったことと、恵楓園自治会事務局の園田さんが認めてくださり県への利用を薦めてくださったこと、これが後にPart.2作成につながっていったのです、心から感謝いたします。

 パンフレットPart.1の出来がりまでと、たどった運命(?)を考えれば、水俣市からは恵楓園は遠いんだな…と、ここでのハンセン病問題は、宿泊拒否事件があったからこそ、大人がやっとちゃんと知ろうとし始め、これから学ぶ人権問題だったのだなぁと…思えました。思えば、下書き原稿チェックのとき「国がした…という表現は、ちょっと強すぎないかな?」という意見を出した方が唯一、ハンセン病における人権問題が何なのか?を知っていたのですね。
 でも、Part.2を作成する頃には、水俣市内や近隣の津奈木町からも、教職員はもちろん子どもたちへのハンセン病問題学習のゲストティーチャーとして招かれることが増えました。私が伝えた後、恵楓園入所者をお迎えして話を聴くということもありました。

〜恵楓園の方々と出会ってから

 このハンセン病問題への水俣の人々の意識は、まさに私の水俣病問題への関わりと重なっていることに気付かされました。「何でそうなったんだろう?」という疑問も封印し、被害の実態も「知ろうとしていなかった」のは、水俣という故郷を避けていた私自身でした。
思えば、こうやって自分を振り返り、水俣病に向き合えるようになったのは、ハンセン病問題に強い衝撃を受け恵楓園の方々と何度も会話する機会を持ったからだと、今思います。
 その生き方を知って、考え方を聴いて「自分がそうならどう思うのだろう…どう生きるのだろう」と自分自身と重ねていくうちに、だんだんと自分の被差別体験や差別意識を見つめ直すことが出来ました。私は故郷を誇れなかった、私は障がいのある弟を隠していた、私は…と、ちゃんと見つめる勇気をもらいました。今までみたく世間体ばかりを気にしていたら前には進めない!と、最近は何だか憑き物が落ちたよう≠ネ気分で自分自身のことをさらっと(…というか、うん!と気合を入れて一呼吸おいて)語れるようになれました。
 何をきっかけに自らを見つめ直すのか?私にとってのそれは、身近な水俣病ではなくハンセン病であったということ。今は、遠慮がちですが、水俣病問題もまっすぐ見つめています。もしかしたら胎児性水俣病かもしれない弟の“水俣病認定申請者医療手帳”を見せてもらったのも最近です…

〜Part.2は?

 そしてハンセン病問題、水俣病問題の根底に共通するものとして、この国の意識もまた見つめ直しています。真摯に向き合えば簡単に解決できることを、隠してごまかして、結局は複雑にしてしまう、そんな国民性?それに気付けるような目を子どもたちに持って欲しいと思い、Part.2のパンフレットには「日本全体でそんなことをしたの…?」というセリフを入れました。最初のパンフは「国がそんなことしたの?」でしたが、無らい県運動、村八分や知らんぷり…これは国(行政)だけの責任ではなく日本全体でやったこと。日本全体…人間が持つ「自分さえよければいい」という意識の表れですものね。そしてこれは、いろんな差別や偏見の元になる一番いじわるな意識だと思います。
そして、Part.2には、私自身の思いも込めて作成しました。「(偏見を持たれ、噂をされて)私は、どう対応しただろう?どうしたかったかな?何をして欲しくなかっただろう?何が一番イヤだったっけ…」と考えながら、伝えたい思いをセリフにしました。読んだ子どもたち自身が身近な問題に置き換えて、差別や偏見について考えてくれるように…と願って作りました。
 ちなみにPart.2は、おかげさまで予算も倍(!?)で、印刷枚数も倍、色具合や印刷紙のコートもアップして、ペラペラではなく硬い… これはこれで「指を怪我しないかなぁ」と心配ではありますが、皆さまにお礼を申し上げます。
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