沖縄愛楽園証言集編集事務局

 第3回 沖縄県ハンセン病証言集編集委員会  
  昨年10月の台湾楽生院判決を聞いた沖縄愛楽園証言集編集事務局の宜寿次政江さんは、沖縄タイムス(11/19)の論壇で次のように書いています。「最後に、台湾の判決の時に、裁判官が『請求認容』(勝訴の意)と発言した後、中国語通訳の方が泣き崩れ、原告に抱きついて、一生懸命訳していた姿が忘れられません。判決前から彼女は涙ぐんでいましたが、それは台湾判決の30分前に韓国の判決(請求棄却)が出ており、同じように棄却だろうと思っていたのでしょう。判決を待つ間、赤い目で原告席に座っている彼女の姿は、通訳という立場を超え、原告そのものでした。まったく別の人生を歩んできた人同士がそこまで一体になれるという現実を見て、これこそが『共に歩む』ということなのだと知りました。
 同じ苦しみを同じように感じ、同じ喜びを同じように感じる。支援するとか、支援されるとかそういった立場などそこにはありませんでした。その姿を見て、私も共に歩みたいし、歩んでほしいと強く思いました」、と。この宜寿次さんの思いは証言集編集事務局一同の共有するところとなり、編集作業を推進する力となっていました。

 第3回沖縄県ハンセン病証言集編集委員会が1月21日に那覇で開かれました。事前に委員らの手元には『資料編』の原稿が渡されており、当日は主にこれについて検討が行われました。B5版縦書き3段組の『資料編』は、全3章構成で、第1章「法令」が約50頁、第2章「議会議事録」が約150頁、第3章「ハンセン病関連資料」が約500頁(戦前期約150頁、戦時期約50頁、戦後期約300頁)です。この『資料編』は、来年度に刊行予定の『証言編』で明らかにされる諸事実を支える役割を持っています。時間と頁数の制約があり、収録できない多くの資料が残されることになったのは惜しいことですが、それでも重要な資料が盛りだくさんです。
 量的に最も多い戦後資料の中には、沖縄愛楽園懲罰審議委員会議事録やダウル報告書の翻訳が含まれています。後者は1954年に米国陸軍省の要請をうけてレオナルド・ウッド記念財団のジェームズ・ダウルらが沖縄のハンセン病を調査し、絶対隔離政策の弊害を指摘して、退所・在宅治療の制度導入を勧告した文書で、その指摘の1つ1つが興味深いものとなっています。例えば彼らは、愛楽園のトイレに衝撃を受けたようで、「Benjoが至る所にある」。これは「 一時的な構造物で糞便をくみ出せる容器が設置されており、糞便は畑にあるタンクに運び、蒸解したあと肥料として用いる」と解説しています。そして南静園の便所について、「(患者地帯では)排泄物は集められ、海岸の砂浜に埋められる。真壁園長の説明では、各寮舎の端に便所をつくる計画を立てているとのことである。私たちの見解では、それでは不十分であり、水洗方式が推奨される。職員地帯にある便所の糞便は、肥料として用いられる」と説明しています。ここには、入所者のものは砂浜に埋められ、職員のものは肥料になると書かれていて、そこに何か特別な理由があったことを感じさせます。
 また、ダウルらは沖縄のハンセン病専門医の不足について次のように言及しています。「愛楽園には2人、南静園には1人の若い医師の増員をはかるよう尽力すべきである。彼らはこの仕事に就くに先立ち、日本のらい療養所で6カ月間の臨床教育を受けるべきである。愛楽園と南静園における職員の任期は3年とすべきであろう。但し所長は例外とし、期間を設定せず任期を保障し、そして給与を大幅に増額せねばならない。若い医師を惹きつけるもっとも健全な方法は、生活費を保障しつつ、専門的な技能や知識の習得機会を提供することである。正看護婦をいつまでもらい療養所で勤務させてはいけない。彼女らは一般病院の看護婦との回転勤務体制の中に組み入れられるべきである」、と。彼らは、基本的に医療職員に任期を設定すべきであるとしており、ハンセン病政策が医療人をも隔離することになってはいけない、と考えられていたように思われます。

 ところで、委員会で最も慎重に議論されたのは、1950年代の新聞記事の取り扱いについてでした。内容は園内で起きた入所者間の殺人事件に関するもので、「隔離された世界の性生活」等の見出しを掲げて実名報道しています。ハンセン病、性、犯罪という3点で差別性の凝集された記事であり、収録は見送られました。
 『資料編』の編集作業は、いよいよ大詰めを迎えました。これを少しでも親しみやすいものにしたいと考え、愛楽園証言集編集事務局では3月まで残業が続くことになりそうです。
 そのような中で、同事務局の大城和也さんのコラム連載が沖縄タイムス(唐獅子)ではじまりました。最初の聞き取りで、「あなたは、私の人生を聞き取る人間性を持っているのか」と語り手から言われた大城さんは、聞き取りとは、「人まねをせずわが身に従い、これまで得た感性・経験・知識などを総動員した、身ひとつの真剣勝負なのである」と書いています。
 もう1つ、沖縄愛楽園のある名護市で「国立療養所沖縄愛楽園の将来構想を検討する懇話会」が発足しています。1月12日に開催された第2回懇話会では、国民医療研究所「栗生楽泉園将来構想調査団」の報告書が検討されました。
沖縄愛楽園証言集編集事務局 森川恭剛(2006年2月)
TOP