「あいち太陽の会」の活動経過とそれに関わる青年について

  

「あいち太陽の会」と谺さん


 2001年5月11日熊本地裁において、「らい予防法違憲国家賠償訴訟」判決は国の政策を断罪し、その後の国の控訴断念により原告である元患者さんたちの全面勝訴が確定しました。
 テレビや新聞などでも大きく報道されていました。元患者さんたちの姿は、車椅子やぎこちない歩き、変形した手や口や目や鼻は見たことのないもので、私ははじめ、そのような姿に目を奪われていました。しかし、不自由を押して訴える言葉は全身から溢れ出て、当時何もわからなかった私の胸に迫ってきたのです。
 「病気のために長年隔離されてきて、それが誤りだったとして国が謝罪する“ハンセン病”とはいったいなんなんだろう…」私とハンセン病問題の出会いは、社会で働きだした3年目、26歳の時でした。

●「知らなかった」でいいのだろうか

 同年の夏、名古屋で行われた谺雄二さん(全国原告団代表)の講演を聴いたことが、私にとってはじめの転機となりました。らい菌は微弱であるのに、その後遺症の姿から「国辱」として療養所に隔離され、そこでは、患者が患者を世話する貧困な医療、そして強制労働と断種・堕胎という数々の人権侵害が行われていました。戦争の歴史とともに作られてきた隔離政策は、戦後の憲法の下でも行われ、私が暮らす“今”の社会でも続けられていたのです。
 報道だけでは得られなかった真実を知り、衝撃を受けました。私は大学で社会福祉を学んできたのに、これほどひどい人権侵害が行われていたことを知りませんでした。また、谺さんが暮らしている栗生楽泉園は、私の田舎である群馬県にあることも知りませんでした。それは徹底した隔離政策の成果であるけれど、「知らなかった」ということが隔離政策を担ってきた責任のように感じられたのです。
 「もっと真実を知りたい」その一心で本を探しては読みあさり、その年の年末には、谺さんに会いに栗生楽泉園に行きました。

●谺さんが私に勇気をくれた

 療養所の自室に迎え入れてくれた谺さんは、テレビなどで映し出される、社会の不正に対する厳しさや激しさよりも、限りなく人を信じて優しく温かく、明るい方でした。その頃の私は、体調を崩して1年間仕事を休み、復職したばかりで自信を持てずにいました。私はそんな谺さんに出会い、自分のありのままを認め、またもう少し頑張れる勇気が沸いてきました。
 私は社会問題としての「ハンセン病問題」への関心とともに、人間的魅力に溢れた谺さんにすっかり魅せられて、その後も友人を誘いながら栗生楽泉園への訪問を重ねてきました。

●「太陽の会」の結成と広がり

 03年10月、私は愛知県出身の平野昭さん(多磨全生園)と出会い、それが次なる転機となりました。ある日、平野さんからの手紙には「なぜ90年もの間、元患者が隔離され続けてきたのか…(略)隔離政策に協力態勢を敷き続けた国民一人一人の責任です。…(略)偏見差別の打破のため、あらゆる手段を講じてご協力をお願いします」と記されていました。私は、療養所訪問をしてただ自己満足していたかもしれない、元患者さんたちの力になりたい、と思ったのです。
 04年3月、一緒に療養所訪問をしてきた友人と「太陽の会」を結成しました。会では学習と療養所訪問に取り組みながら、友人が友人を誘い、事務局は30歳前後の人が15人くらい集まるまでに広がりました。そして、いろんな人の助けを借りながら、私たちの手作りで活動を続けています。
・ 04年5月、パネル展と平野講演が成功
・ 10月、多磨全生園へ8人で訪問
・ 05年5月、栗生楽泉園へ14人で訪問
・ 7月、映画上映と谺講演を180人の入場で成功
・ 10月、長島愛生園へ8人で訪問
 仲間と力を合わせて何かを作り上げる経験が乏しい世代だからこそ、「何かしたい」という自分たちの思いから始めて、一人一人のアイデアをみんなで形にしていくことが、とても楽しいのです。そしてその成功が、「私たちの思いは、周りの人たちに伝わる」という自信となっています。

●生きることを一緒に考えてくれる人を求めて

 そのエネルギーの源には「ハンセン病問題について知ってもらいたい」ということ以上のものがあると思います。メンバーの仕事や生活の悩みは様々ですが、この生きにくい社会の中で「一人の人間として大事にされたい」という思いが共通していると思います。
 私たちは元患者さんと交流し話を聴く中で、人を大事にしない社会の実態を知り、同時に生きていく勇気をもらっています。また、ハンセン病問題という同じフィールドで出会った友人だからこそ、仕事や恋愛など生き方のことを熱く語り合えるつながりが生まれているのではないでしょうか。
 生き方を導いてくれる人生の先輩と、一緒に歩む仲間の存在。人と人とが触れあう中でこそ得られるものだと思うのです。いつ誰が引きこもりになってもおかしくない社会状況の中、私たちはそういうつながりを求めていたのかもしれません。ハンセン病という重いテーマですが、会はとても明るく賑やかなのです。
 
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